テレビやスクリーンでおなじみのあの人も、最初から有名人だったわけではありません。
もちろん子役出身の方や、学生時代にスターの座をつかんだ方々もいますが、それはごく少数派。
大半の人たちは、下積みを経て栄光の座を勝ち取ったのです。
そんなわけで今回は、前職が意外な芸能人の皆さんをご紹介いたします。
1.おのののか
レースクイーンとビールの売り子!
駆け出し時代は二足のわらじ
前職が意外な芸能人といえば、まずはこの方を思い出す方も多いのでは。
高校卒業後にプロダクションに応募し、タレントやレースクイーンとしての活動を始めます。
そんな彼女が駆け出し時代にやっていたアルバイトが、東京ドームでのビールの売り子。
通常は100杯売るのがやっとらしいのですが、おのののかはその美貌を活かして最高で400杯を売り、東京ドームのNo.1ビール売り子として注目されていたようです。
週3日のペースで1日およそ3時間前後働いて、歩合給を含めて月収30万円を稼ぎ出していたといいます。
おのののか
生年月日:1991年12月13日
主な活動:グラビアアイドル
事務所:プラチナムプロダクション
2.タモリ
長かった下積み時代。
保険外交員、ボーリング場支配人、喫茶店マスター…そして居候。
明石家さんま・ビートたけしと並んで「お笑いビッグ3」の一人であるタモリさん。
ですが、そのデビューは意外にも遅く30歳のこと。
早稲田大学を中退後地元である福岡県に戻り、保険外交員として数年を過ごした後、ボーリング場の支配人に。
さらに喫茶店のマスターとなります。
この頃に偶然出会ったジャズ・ミュージシャンの山下洋輔さんを通じて、その笑いの才能が東京の文化人の間で広く話題となり、遂には「伝説の九州の男・森田を呼ぶ会」が結成されたんだとか。
物好きな(?)文化人たちの尽力もあり、1975年に上京した後、漫画家・赤塚不二夫の豪邸に居候する傍ら、芸能界で活躍するようになったんだそうです。
タモリ
生年月日:1945年8月22日
主な活動:タレント・司会・作家
事務所:田辺エージェンシー
3.唐沢寿明
唐沢寿明のデビューは、あの有名特撮ヒーロー番組?
今やすっかり大物俳優の唐沢寿明さんですが、実はタモリさんと同じく、下積み時代が非常に長かったことで知られています。
1963年に東京都台東区で生まれた唐沢さんは、俳優業を志して高校を中退。
16歳で東映アクションクラブに所属し、特撮やアクション物のドラマにエキストラとして出演しています。
そんな唐沢さんのデビュー作となったのが、1984年にTBS系列で放映された東映・毎日放送制作の『10号誕生! 仮面ライダー全員集合!!』。
この『仮面ライダー』シリーズの特別番組で、なんとライダーマンの中の人、つまりスーツアクターとしてデビューを飾っています。
そんな縁もあってか、唐沢さんは現在でも特撮が大好きなのだとか。2014年公開のスーツアクターに焦点を当てた劇場作品『イン・ザ・ヒーロー』に主演されたのも、特撮への愛あってこそなのでしょう。
唐沢寿明
生年月日:1963年6月3日
主な活動:俳優
事務所:研音
4.設楽統(バナナマン)
バナナマン設楽が高校卒業後に就職した会社とは?
売れっ子お笑いコンビ・バナナマンのツッコミ担当としてはもちろん、ピンでは俳優や司会者としても活躍しているのが、設楽統さん。
あまり知られていないですが、最初期のバナナマンは4人組。
現在は俳優、タレントとして活躍している西秋元喜さんの呼びかけで、設楽、日村、西秋、西秋さんの元相方の4人でグループを結成されたんだそうです。
当時の設楽さんが渡辺正行さん(コント赤信号)の運転手だったというのも意外ですが、さらに意外なのがお笑い界に入る前の経歴。
西武鉄道に入社し、池袋線小手指駅で駅員をされていたそうですが、わずか半年のみの勤務だったそうです。
設楽統
生年月日:1973年4月23日
主な活動:芸人・俳優・司会者
事務所:ホリプロコム
5.YUKI
ガールポップ界の女王YUKIはデビュー前に何をしていた?
今や超大物シンガーのイメージが定着したYUKIさんですが、ソロになる以前はバンド・JUDY AND MARYのボーカルでした。
でもその前に何をされていたかをご存知でしょうか?
YUKIさんは1972年北海道函館市出身。
高校時代からバンド活動をされていたそうで、当時から同じく北海道出身のバンドGLAYとの交流があったそうです。
そんなYUKIさんが高校卒業後に就職したのが、函館市内にあるバス会社。
なんとバスガイドをされていたんだそうです。
上京後は、エステティシャンもされていたとか。
どちらも、美しいルックスと声の持ち主であるYUKIさんらしい職業といえるのではないでしょうか。
YUKI
生年月日:1972年2月17日
主な活動:歌手
事務所:ソニー・ミュージックアーティスツ
6.友近
地元・愛媛で働いていた職業とは?
幼い頃から、お笑いタレントになることを夢見ていた友近さんは、大学卒業後に、地元・愛媛にて旅館道後温泉「大和屋」で仲居として働いていました。
しかし、大学時代にレポーターのアルバイトをしていたため、再びレポーターとして活動することに。
一時期は「愛媛のスター」と言われるほど多くのレギュラー番組を抱えるMCとして活躍していました。
2000年になり、NSCに入学するため大阪に移り、お笑い芸人としてのスタートを切りました。
友近
生年月日:1973年8月2日
主な活動:お笑い芸人・女優
事務所:吉本興業
7.哀川翔
実は文系?「Vシネマの帝王」哀川翔の前職とは?
強面のイメージで知られる俳優の哀川翔さんですが、その前職は意外にも雑誌のライターさん。
1961年生まれの哀川さんは、鹿児島県立高山高校を卒業後に上京し、東京工学院専門学校に進学します。
この頃、アルバイトとして始めたのが人気雑誌「ポップティーン」のライター業。
ペンネームは、現在も芸名として使用している「哀川翔」をもじった「ショウ・ロンリーリバー」。
そんな哀川さんですが、ライター業と並行して、仲間たちと渋谷の路上でストリート・パフォーマンスを行っていました。
この集団こそが路上パフォーマンス集団「劇男一世風靡」であり、後に『前略、道の上より』でレコードデビューを飾る「一世風靡セピア」の前身となるグループです。
哀川翔
生年月日:1961年5月24日
主な活動:俳優・歌手
事務所:BINGO
8.佐々木蔵之介
京都の酒造の息子として生まれた佐々木蔵之介さんの意外な前職は!?
京都の造り酒屋に生まれた佐々木蔵之介さんは、神戸大学を卒業後に、広告代理店に入社しています。
広告代理店で働きながら、劇団活動をしていましたが、約2年半後に退社し、劇団での俳優活動に専念します。
ちなみに、広告代理店の同期入社には、ますだおかだの増田英彦さんがいました。
その後、関西を中心に活動していましたが、拠点を東京に移し、2000年にNHK連続テレビ小説「オードリー」への出演をきっかけに、人気俳優への道を切り開きました。
佐々木蔵之介
生年月日:1968年2月4日
主な活動:俳優
事務所:ケイファクトリー
9.向井理
人気俳優の意外な職歴とは…
子供の頃は、獣医師を目指していたという向井理さん。
大学では遺伝子工学を専攻していましたが、アルバイトとして渋谷にあるカフェバーでバーテンダーをしていたそうです。
こんなにかっこいいバーテンダーがいれば、話題になっていたでしょうね。
大学4年の時に、カフェバーの経営会社から声をかけられて、バーの社員として就職し、店長として働いていました。
そして、「イケメンバーテンダー」として雑誌の取材を受けたことをきっかけに、事務所からスカウトを受け、芸能界デビューを果たしています。
向井理
生年月日:1982年2月7日
主な活動:俳優
事務所:ホリエージェンシー
10.磯野貴理子
お笑いアイドルになる前の職業は?
三重県に生まれた磯野貴理子さんは、高校卒業後に地元の相互銀行に就職して、銀行員として働いていました。
三重県で就職していますが、東京都の日本橋支店に配属され、3年間勤務しました。
元気で明るい磯野貴理子さんなので、銀行員としても素晴らしい対応をされていたことでしょう。
その後、劇団に入所して、女性3人組お笑いアイドルグループ「チャイルズ」の一員としてデビューしています。
チャイルズ解散後は、レポーターの仕事を中心にタレントとして活躍するようになりました。
磯野貴理子
生年月日:1964年2月1日
主な活動:タレント・コメディアン
事務所:ジャパン・ミュージックエンターテインメント
いかがでしたでしょうか。
イメージと正反対の仕事をしていた方、後に芸能界でも発揮する才能を活かして働いていた方と、スターの皆さんの前職も様々です。
今回紹介した方々の活動を見ていると、かつての仕事が現在の活躍に繋がる「芸の肥やし」になっている様に感じられます。
今、現在アルバイトをしながら芸能人を夢見ているあなた。
その経験、いつかステージで役に立つかもしれませんよ?
「人に歴史あり」という言葉がありますが、まさに「芸能人に歴史あり」といったところですね。