浜田雅功のプロフィール
お笑いコンビ「ダウンタウン」のツッコミを担当している浜田雅功さん。
最近は、単独でテレビ番組の司会を務めることも多く、日本を代表するお笑い芸人の1人です。
これまでに、様々なジャンルで活躍してきた浜田雅功さんの、生い立ちや、デビューのきっかけについて紹介していきます。
はじめに、プロフィールから見ていきましょう。
浜田雅功
本名 濱田雅功
生年月日 1963年5月11日
出身地 大阪府大阪市浪速区
血液型 A型
身長 165㎝
学歴 日生学園第二高等学校
相方の松本人志さんとの出会いや、歌手デビューについてなど、気になるエピソードを、詳しく見ていきましょう。
浜田雅功の生い立ちとは
大阪府大阪市浪速区で生まれた浜田雅功さんは、幼稚園に入学する頃に兵庫県尼崎市へ移り、生活するようになります。
通っていた「浜幼稚園」には、放送作家の高須光聖さんもいたそうです。
浜田雅功さんの父・憲五郎さんは、鹿児島県出身で、タレントのヒロミさんの父と同級生でした。
ちなみに、浜田雅功さんには、妹が1人います。
元々は裕福な生活を送っていましたが、父親が知人の連帯保証人となったことで、生活が一変します。
小学校に入学し、ここで相方となる松本人志さんと出会いますが、小学生時代には、同じクラスになることはなかったそうです。
その後、中学に進学し、2年生の時にようやく同じクラスになったことで、親交が深まります。
人見知りで大人しい性格の松本人志さんとは反対に、ヤンチャで問題を起こすことも多かった浜田雅功さん。
中学の先生から、スパルタ教育で有名な日生学園高等学校への進学を勧められ、入学しています。
学校は全寮制で、厳しい高校生活でしたが、無事卒業をし「競艇選手になって欲しい」という父の希望から、試験を受けたものの、不合格となりました。
浜田雅功のデビューのきっかけ
将来の目標は特になく、父から勧められた競艇選手の試験にも落ちた浜田雅功さん。
競艇の試験の帰りに、たまたま張り紙を見つけ、松本人志さんを誘って、吉本総合芸能学院(NSC)に1期生として入学します。
コンビ名を「ダウンタウン」とし、NSC時代から、舞台出演もするようになります。
同期には、ハイヒールやトミーズがおり、ダウンタウンもNSC卒業後に、吉本興業に所属し、デビューを果たします。
若手時代には、関係者から実力を評価されていたものの、すぐに人気が出たわけではありません。
また、相方の松本人志さんは「お笑いの天才」と評価されており、そんな松本人志さんのツッコミ役を担当するのは、多大なプレッシャーもあったでしょう。
もちろん浜田雅功さんにも才能があったものの、ボケ役によりもさらに、努力が必要と言われるのがツッコミ役です。
天才と呼ばれる相方へのツッコミ役をすることに対し、浜田雅功さんは相当な努力をしたと言われています。
相方の松本人志さんも、浜田雅功さんのことを「努力家」と評価しています。
浜田雅功のオーディションエピソード
浜田雅功さんは、吉本総合芸能学院(NSC)出身で、卒業後は吉本興業に所属してデビューしているので、オーディションでのデビューではありません。
しかし、新人のお笑い芸人は、数々のコンテストに出場して、実力を競います。
浜田雅功さんも、新人の時には「ダウンタウン」として、たくさんのコンテストでの受賞歴があります。
ダウンタウンの新人時代の受賞歴
・毎日放送素人名人会 名人賞(1982年)
・第3回今宮こどもえびす新人漫才コンクール 福笑い大賞(1982年)
・第5回ABC漫才・落語新人コンクール漫才の部 最優秀新人賞(1984年)
・第14回NHK上方漫才コンテスト 優秀賞(1984年)
・第2回花月大賞 花月新人賞(1985年)
・第21回上方漫才大賞 新人奨励賞(1986年)…他
新人時代だけでも、多数の賞を受賞しており、期待の新人漫才コンビとして、注目されていたのがよく分かりますよね。
浜田雅功の芸能界での活躍
NSC時代からコンテストに出場するなど、漫才コンビとして精力的に活動していましたが、期待されるほどのブレイクとはならない時期が続きます。
転機となったのは、1987年から放送が開始された毎日放送のバラエティ番組「4時ですよ~だ」のメインMCに抜擢されたことでした。
夕方4時という放送時間なので、放送当初は視聴率が2~3%だったものの、女子中高生を中心に大人気番組となり、夏休みには10%を超えるように。
これまで無名の新人漫才コンビだったダウンタウンは、関西で一躍有名人となります。
その後、東京進出すると「森田一義アワー 笑っていいとも!」など人気番組のレギュラー出演、そして、冠番組となる「ダウンタウンのごっつええ感じ」で、その人気は社会現象とも言える程の勢いになります。
また、ツッコミ担当の浜田雅功さんは、番組MCや司会としても活躍し、日本を代表するお笑い芸人となりました。
また、1990年頃からは俳優としてテレビドラマに出演するようになり、これまでにも多数のヒットドラマに出演しています。
浜田雅功の主な出演ドラマ
・ADブギ(TBS/1991年)
・十年愛(TBS/1992年)
・もしも願いが叶うなら(TBS/1994年)
・人生は上々だ(TBS/1995年)
・竜馬におまかせ!(日本テレビ/1996年)
・Friends(TBS/2000年)
・明日があるさ(日本テレビ/2001年)
・検事・鬼島平八郎(朝日放送・テレビ朝日/2010年)
他にも、1995年に小室哲哉さんプロデュースで「H Jungle with t」名義で歌手デビューし、デビュー曲「WOW WAR TONIGHT」は、累計売上枚数213万枚を超えています。
その後も、作詞を松本人志さん、作曲を槇原敬之さんが手がけたヒット曲「チキンライス」2015年に「浜田ばみゅばみゅ」名義で発売された、中田ヤスタカさんプロデュースの「なんでやねん」など、音楽界でも実績を残しています。
浜田雅功のエピソード
デビュー前から、数々のエピソードが語り継がれる浜田雅功さん。
その中でも、特に気になるエピソードを紹介していきます。
厳しすぎる高校生活とは!?
浜田雅功さんが通っていた、日生学園高等学校は当時、非常に厳しい指導方法で有名でしたが、友人の家のドアをのこぎりで壊すなど、悪事を働くことが多かったことから、中学の先生に勧められて進学することになったそうです。
2年生の時には、兄弟校となる日生学園第二高等学校に転入し、全寮制のため、世間から隔離された生活を送ります。
教師や上級生からの暴力は当たり前、浜田雅功さんも体罰を受けていたそうです。
隔離された生活の中で、世の中の情報が遮断される中、散髪の時に敷かれる新聞紙の記事で、わずかな情報を得ていました。
また、実家に帰省した時に、街に出かけて、3色の歯磨き粉が発売されていることに驚いたそうです。
歌手デビューのきっかけは?
ダウンタウンがMCを務める音楽番組「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」に小室哲哉さんがゲスト出演した時、浜田雅功さんが収録中に「自分にも曲を作って下さい」と発言したのがきっかけでした。
実際に小室哲哉さんから楽曲が提供され、CDデビューが決まりましたが、当時、小室哲哉さんがプロデュースした曲は、どの曲も大ヒットしていたことから、浜田雅功さんは売れなかったら自分のせいだと、かなりのプレッシャーを感じていたそうです。
デビュー曲「WOW WER TONIGHT」は、オリコンチャート7週連続1位、お笑い芸人のCD売り上げは歴代1位となっています。
浜田雅功は超天然!?
浜田雅功さんが「天然」であることはよく知られており、数々のエピソードがあります。
例えば、キャップが付いたままの髭剃りで、髭を剃っていたり、マドラーをストローと間違えて、飲み物を飲もうとするなど、日常生活でも常に天然な一面を見せています。
ある時は、お皿の端に描かれた黄色い模様を「からし」だと思って、付けて食べていたこともあったそうですよ。
コワモテな浜田雅功さんの、こういった一面は好感が持てますよね。
相方の松本人志さんと共に、お笑い界の先頭に立って活躍する浜田雅功さん。
今後も、活躍が楽しみですね。