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オーディションなび的タレント伝(23) 草彅剛ーどうしても会いたかった先輩とは?

2021.06.25 / アイドル

草彅剛のプロフィール

アイドルグループ「SMAP」のメンバーとしてデビューし、現在は俳優やタレント活動の他、YouTuberとしても活躍している草彅剛さん。
2020年には一般人女性と結婚、芸能界でも輝き続ける草彅剛さんについて、気になる情報を紹介していきます。
はじめに、草彅剛さんのプロフィールから見ていきましょう。

草彅剛

本名   草彅剛(くさなぎつよし)
出身地  埼玉県春日部市
生年月日 1974年7月9日
身長   170㎝
血液型  A型

アイドルとして活動している時から、俳優としての評価も高かった草彅剛さん。
生い立ちや、デビューに関するエピソード、オーディションエピソードなど、詳しく紹介していきます。

草彅剛の生い立ちとは

1974年に生まれた草彅剛さん、トップアイドルとしても俳優としても、芸能界の第一線で活躍していますが、あまり生い立ちに関する詳しい情報は公開されていません。
出身地は埼玉県春日部市ですが、出生地は愛媛県西宇和郡だと言われています。

家族構成は、両親と8歳年下の弟、1歳年下の妹の5人家族で、兄弟についても情報は少ないですが、妹は留学経験があり英語が堪能だそうです。

草彅剛さんは、幼稚園から中学2年生になるまでは、埼玉県内の団地で暮らしており、スポーツが大好きな活発な男の子でした。
小学生時代は、サッカー、剣道、器械体操などのスポーツをしていたそうです。
運動神経が良かったので、女の子からもモテていましたが、好きになった初恋の相手は、別のカッコいい男の子と付き合っていたため、実らぬ恋になったという悔しい経験もあったと語っています。

中学時代はジャッキー・チェンに憧れて、真似をして友達と遊んでいて、怪我をすることも多かったとのことなので、幼少期からずっとわんぱくな少年だったのでしょうね。

高校時代は、すでにジャニーズ事務所に所属して、タレント活動を始めていましたが、仕事がなかったため、3年間無遅刻無欠席で卒業しました。
この状況には、さすがに自暴自棄になることもあり、暗い高校生活を送っていたそうです。

草彅剛のデビューのきっかけ

草彅剛さんは1987年の中学1年生の時に、ジャニーズ事務所に入所します。
入所後は、ジャニーズJr.内のグループ「スケートボーイズ」のメンバーとして活動していました。
その後1988年に「スケートボーイズ」のメンバー12人の中から、中居正広さん、木村拓哉さん、稲垣吾郎さん、香取慎吾さん、森且行さんと共に「SMAP」のメンバーに選ばれており、結成から3年後となる1991年にグループとしてCDデビューを果たしています。
その後2016年にグループが解散するまでの間「SMAP」は国民的アイドルグループとして、走り続けました。

「SMAP」が結成される頃には、ジャニーズ事務所の先輩にあたる「光GENJI」がアイドルグループとして人気絶頂でしたが、続いてデビューした「SMAP」は、デビューシングルで、ジャニーズ事務所始まって以来、最低の売上枚数となってしまいました。
しかし、その後はバラエティ番組で、本気でコントをするなど、本格的なバラエティ進出をして、今までになかったアイドルグループとして、少しずつ人気を高めていきます。

草彅剛のオーディションエピソード

草彅剛さんが初めてテレビに出演したのが、萩本欽一さんの「欽きらリン530!!」という番組でした。
当時、萩本欽一さんは、男性コントアイドルグループ「CHA-CHA」のプロデュースをすることが決まっており、このオーディションに草彅剛さんを含むSMAPのメンバー全員が参加していました。
そして、オーディションに合格したのは、草彅剛さんと木村拓哉さんでした。

後に「CHA-CHA」のメンバーに選ばれる勝俣州和さんらと一緒に、デビューがほぼ決まっていたという草彅剛さん。
しかし、萩本欽一さんは最終的に「草彅剛さんは、スターになる人だから、バラエティには向いていない」と、メンバーに選びませんでした。
この時「CHA-CHA」のメンバーになっていたら「SMAP」の草彅剛さんを見ることはなかったということですね。

草彅剛の芸能界での活躍

「SMAP」として、積極的にバラエティ番組に進出し、これまでのスター性を重視したアイドルではなく、カジュアルな印象を与えるアイドルとして、徐々に人気が高まっていきます。
1996年には冠番組となる「SMAP×SMAP」の放送も開始され、音楽活動でも1998年に発売した「夜空ノムコウ」で、グループ初となるミリオンセラーを記録し、1990年代から国民的アイドルグループ「SMAP」のメンバーとして、幅広い年齢層から人気を得ています。

また、個性を活かした個々の活躍も多かった「SMAP」ですが、草彅剛さんもグループ活動の傍ら、俳優としても実力を発揮します。
1997年に主演したドラマ「いいひと。」は平均視聴率20%を超える大ヒットドラマとなりました。
他にも、草彅剛さん主演のドラマと言えば「僕の生きる道」「僕と彼女と彼女の生きる道」「僕の歩く道」の「僕シリーズ3部作品」は全て最高視聴率20%を超えています。

草彅剛さんと言えば、大の「ジーンズ」好きでも知られていますが、1999年に男性ベストジーニストに選出され、この年から5年間連続で受賞したため、殿堂入りを果たしています。

草彅剛の主な出演番組

・『ぷっ』すま(1998年/テレビ朝日)
・ブラタモリ(2015年/NHK)ナレーション
・スタアの恋(2001年/フジテレビ)
・僕の生きる道(2003年/フジテレビ
・僕と彼女と彼女の生きる道(2004年/フジテレビ)
・僕の歩く道(2006年/フジテレビ)
・銭の戦争(2015年/フジテレビ)

他にも、多数のドラマやバラエティ番組などにたくさん出演しており、2020年には主演映画「ミッドナイトスワン」で、トランスジェンダーの役を演じ、第44回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞しています。

草彅剛の芸能界でのエピソード

国民的アイドルとして華々しく活躍した草彅剛さんですが、温厚で優しい人柄も魅力ですよね。
そんな草彅剛さんの、面白いエピソードを集めてみました。

・高校時代にまさかの快挙!?

すでに「SMAP」として活動していた高校生の時に、堀越高等学校芸能活動コースに通っていた草彅剛さん。
個人の仕事がなかったため、埼玉県から片道2時間かけて通学しながら、3年間皆勤賞で卒業しています。
堀越高校は、卒業時に芸能コースも含めた全ての生徒を対象に、学業が優秀で品行方正と認めた10名に「堀越賞」を贈呈していますが、草彅剛さんは、芸能活動コースの生徒として初めて「堀越賞」を受賞しています。
本来、とても名誉な賞ではあるものの、芸能活動コースだった草彅剛さんは「仕事で早退します」と言ってみたいと思うことが何度もあったそうです。
「こんなに仕事がないなら、地元の高校でも通えたのに」と、当時は通学の往復4時間を苦痛に感じながらも、今となってはいい思い出だと語っています。

・どうしても会いたかった人とは?

子供の頃から少年隊に憧れていた草彅剛さんは、自分もジャニーズ事務所に入所したから、すぐに会えると思っていたそうです。
レッスン中も、ずっと少年隊を探していましたが、そこにいるのは同世代のジャニーズJr.ばかり…。
どうしても少年隊に会いたい気持ちが抑えられず、ある日ジャニー喜多川さんに「おじさん、少年隊にあった事あるの?」と聞いたそうです。
このエピソードは、ジャニー喜多川さんの記憶にも残っており、草彅剛さんに会うたびに「YOU、最初に合った時『おじさん少年隊にあった事ある?』って言ったよね?」と聞かれていたそうです。

・天才俳優としての評価

草彅剛さんを天才俳優と評価する人は非常に多く、主演舞台「鎌田行進曲」で作・演出を手がけたつかこうへいさんは、その才能を「大天才」と評価しています。
また、脚本家の坂元裕二さんも「もし俳優のオリンピックがあったら、日本代表は草彅剛さんです。」と語っています。
他にも、キャスティングで要望を出さないことで知られている脚本家の橋田寿賀子は「99年の愛~JAPANESE AMERICANS~」で、草彅剛さんを指名したそうです。
俳優として大先輩にあたる市村正親さんも「すごいと思う俳優」を聞かれ、草彅剛さんの名前を挙げています。

最近では映画「ミッドナイトスワン」での演技で、改めて俳優としての存在感を高めた草彅剛さん。
次はどんな役を演じるのか、楽しみですね。

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