デヴィ夫人のプロフィール
タレント、コメンテーターなどの仕事で活躍しているデヴィ夫人。
インドネシアのスカルノ元大統領夫人でありながら、バラエティ番組で体を張った企画にも積極的に参加していますよね。
80歳を過ぎてもなお、明るく好奇心旺盛な姿が印象的ですが、過去には壮絶な経験が多かったことでも知られています。
はじめに、デヴィ夫人のプロフィールから見ていきましょう。
デヴィ夫人
本名 根本七保子(ねもとなおこ/旧名・日本名)
ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ(インドネシア名)
出身地 東京都東京市(現在の東京都港区)
生年月日 1940年2月6日
身長 159㎝
血液型 A型
現在は日本のタレント、YouTuberとして活躍しながら、株式会社デヴィ―ナ・ソサエティ代表取締役、NPO法人アースエイドソサエティ総裁という立場でもあります。
デヴィ夫人の生い立ちや、デビューのエピソードなど、気になる情報を詳しく見ていきましょう。
デヴィ夫人の生い立ちとは
東京府東京市麻布区(現在の東京都港区西麻布)に生まれたデヴィ夫人は、両親と弟の4人家族です。
父親は大工の棟梁で、1940年生まれのデヴィ夫人は、太平洋戦争も経験しており、母と弟と共に、福島県に疎開していた経験もあるそうです。
中学を卒業すると、父が多額の借金を抱えていたこともあり、定時制高校に入学すると同時に、生命保険会社にも入社しています。
さらに、休みの日にはアルバイトをして、家計を支えていました。
しかし、父親が借金を残したまま他界し、デヴィ夫人は定時制高校も中退して、赤坂の高級クラブ「コパカバーナ」で働き始めます。
このクラブは、海外の大物が多く通うことで知られており、デヴィ夫人はチャンスが巡ってきた時のためにと、英語や日本舞踊などのレッスンもしていました。
そしてデヴィ夫人が19歳の時に、インドネシアのスカルノ元大統領に見初められ、4人の妻のうち、第3夫人となります。
また、1967年には娘のカリナさんを出産していますが、この頃には軍事クーデターの影響でスカルノ大統領は失脚しており、デヴィ夫人はフランスに亡命します。
デヴィ夫人のデビューのきっかけ
幼少期もスカルノ大統領夫人になってからも、波乱万丈な人生を歩んでいたデヴィ夫人でしたが、1970年代からは日本の芸能界で、世界的なセレブとして活動するようになります。
特に、話題となったのが男性向けの芸能雑誌「GORO」でヌード写真を披露したことでした。
実は15歳の時に映画のエキストラをした経験もあったデヴィ夫人。
元々、芸能界に興味があったのかは分かりませんが、現在のデヴィ夫人を見ていても好奇心旺盛で、どんなことにもチャレンジする性格なのが伝わるので、芸能界に限らず様々な活動に興味を持っていたのかもしれませんね。
また、現在も80歳を超えて、ハイヒールを履きこなす姿勢の良さや、美しさも魅力的ですが、若かりし日のデヴィ夫人の美貌は、さすがインドネシアの大統領の目に留まる美女というイメージです。
これだけ目立つと、どのタイミングでも芸能界に入るのは、必然だったのだろうと感じますね。
デヴィ夫人の芸能界での活躍
その後も、写真集などを出版するなど、芸能活動をしていましたが、本格的にテレビで活躍するようになったのは、1990年代でした。
人気芸能人のことを、毒舌でののしるデヴィ夫人に目をつけたプロデューサーが、ワイドショーのコメンテーターに抜擢します。
すると、歯に衣着せぬ毒舌がウケて、一躍芸能界のご意見番として注目されるようになりました。
基本的に、芸能界での仕事にNGがないというデヴィ夫人は、その後も活躍の場を広げることになります。
これまでに出演した番組
・胸いっぱいサミット!(関西テレビ)
・クイズ!THE違和感(TBS)
・ロンドンハーツ(テレビ朝日)
・ネプリーグ(フジテレビ)
・世界の果てまでイッテQ!(日本テレビ)
・東大王(TBS)
他にも数々の人気番組に出演しており、2020年に公開された映画「コンフィデンスマンJP-プリンセス編」で、元某国大統領夫人役を演じて話題となりました。
また、最近は自身のYouTubeチャンネル「デヴィ夫人-Lady Dewi Channel」も人気で、2019年に開設して、チャンネル登録数は14万人を超えています。
デヴィ夫人の芸能界でのエピソード
波乱万丈な人生を歩んできたデヴィ夫人は、仕事やプライベートでも気になるエピソードがたくさんあります。
その中で気になったエピソードを、ピックアップして紹介していきます。
スカルノ元大統領との出会い
デヴィ夫人が19歳の時に友人と出かけるために、帝国ホテルで待ち合わせをしていたそうです。
その日は、このホテルで、インドネシアのスカルノ元大統領がパーティーに参加するために来日していました。
その時、友人を待つデヴィ夫人はスカルノ元大統領の元に呼ばれ、翌日に開かれるパーティーに誘われます。
デヴィ夫人は、相手をインドネシアの大統領だとは知りませんでしたが、翌日のパーティーに参加した時に知って驚いたそうです。
これがきっかけとなり、スカルノ元大統領61歳、デヴィ夫人22歳という年の差で、スカルノ元大統領の、4人いるうちの3人目の妻として結婚しています。
デヴィ夫人が抱えるトラウマとは
貧しい幼少期を過ごし、ホステスになってからも、家族を支えて暮らしていたデヴィ夫人。
インドネシアの大統領に見初められるという、シンデレラのような人生を歩むのかと思いきや、この結婚で全てが良い方向に向かうことはありませんでした。
若干22歳の日本人女性と、インドネシアの大統領の結婚は、当時大きな話題となり、デヴィ夫人の実母の元に取材が殺到してしまいます。
もともと体調の悪かった母親は、執拗な取材に追われる中、他界します。
さらに弟は、そんな母の死にショックを受ける中、セールスマンに騙され、全財産を失ってしまいます。
そして、弟は母の死後すぐに自殺し、デヴィ夫人は愛する家族を失ってしまいました。
この出来事をきっかけに、インドネシア国籍を取得し「ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ」として新たな人生をスタートします。
家族を失った出来事は、今でもデヴィ夫人の中でトラウマとして残っているそうです。
デヴィ夫人の名コンビと言えば?
出川哲郎さんとの共演が多く、バラエティ番組「世界の果てまでイッテQ」では、一緒に海外ロケに出かける企画も話題です。
ある日、ロケでドイツを訪れていたデヴィ夫人は、薄暗くて怖いイメージのホテルに泊まることになります。
すると、デヴィ夫人は、ホテルで金縛りに合いうなされてしまいます。
白目をむいてうなされる様子を、一緒にロケに来ていた出川哲郎さんが見て、最初はふざけているのかと思い大爆笑してしまいました。
すると、しばらくして金縛りが解けたデヴィ夫人が「なぜ助けなかったの!?」と激怒したというエピソードがあります。
黒い影に首を絞められて金縛りにあったそうで、デヴィ夫人はかなり怖い思いをしたそうですが、出川哲郎さんとのやり取りを聞くと、思わず笑ってしまいますよね。
今では名コンビと言われる2人ですが、出川哲郎さんは、デヴィ夫人に初めて会った時には、変わった人だと思っていたそうです。
しかし、共演を重ね、どんなロケにも熱心に取り組むデヴィ夫人を見て、いつしかインタビューで、目標を聞かれると「デヴィ夫人のようになりたい」と答えるようになっていたそうです。
大胆な発言や行動で、時には批判されることも多いデヴィ夫人ですが、バラエティ番組で見せる「おてんば」な姿とのギャップは魅力的ですよね。