テレビをつければ、外国人タレントが毎日のように活躍しています。
でも外国人タレントは、どのようにして日本での芸能界デビューを果たしたのでしょうか?
では、外国人タレントのデビューのきっかけについて迫っていきましょう。
ボビー・オロゴン
タレント業をはじめ、ナレーターや格闘家としても活躍しているボビー。
彼はバラエティー番組での街頭インタビューをきっかけに、有名人への階段を駆け上がりました。
出身は、ナイジェリア共和国。貿易会社を経営している父親の手伝いとして、世界各国をまわり最後に定着したのが日本だったそうです。
デタラメながらも日本語を一生懸命に話す姿は、誰の目にも好感度抜群ですね。
カイヤ
川崎麻世の奥さんとして有名な、カイヤ。
夫を尻に敷く鬼嫁キャラとして一世を風靡しましたが、彼女は「恋愛」をきっかけにデビューへの道を歩むことになります。
彼女の出身はアメリカで、母国を中心にファッショモデルとして活躍していました。そんなときにたまたま日本で知り合ったのが、川崎麻世でした。
当時テレビでは川崎さんが活躍していることもあり、「外国人を妻にした」ということで話題に。そこでカイヤの強い個性がフォーカスされ、夫婦ともに有名タレントとなったのです。
厚切りジェイソン
お笑い芸人とIT企業役員を両立させている、厚切りジェイソン。
アメリカ出身の彼でしたが、日本が好きすぎて、日本語を勉強するためにお笑い番組の字幕で学んでいたそうです。するとそのうちに「自分もお笑いの世界に行きたい」という思いが強くなり、ついに来日。
その後ザブングルの地方公演にて、「お笑いの世界に入りたいんです」とザブングル加藤に名刺を渡し、そこから今に繋がっていったそうです。
彼の行動力は、まさに目を見張るものがありますね。
パンツェッタ・ジローラモ
ちょいわるオヤジの代名詞ともいえる、ジローラモ。
元々は母国イタリアで建築学を学んでいたのですが、日本の和の文化に興味を惹かれて来日。
そして、日本でできた友人にすすめられるまま芸能オーディションを受けたそうです。オーディションには見事合格し、「NHK外国語会話 イタリア語会話」に出演。
日本ではあまり見られない大きなジェスチャーが反響を呼び、あらゆるバラエティー番組で活躍の場を広げていきました。
ローラ
CMにバラエティーに引っ張りだこの、ローラ。
ローラは高校時代に渋谷でスカウトされ、それをきっかけに芸能活動を始めました。
最初は女性誌「Popteen」にてモデルをメインに活動していた彼女でしたが、「しゃべくり7」の出演をきっかけに爆発的にブレイク。その後はタレント業を中心に、ハリウッド映画「バイオハザード・ザ・ファイナル」に出演するなどマルチな才能で活躍の場をどんどん広げていきました。
しかし実は、彼女の本名は「佐藤えり」。外国人タレントとしての地位を築き上げている彼女ですが、実は9歳から日本に住んでいます。
父親はバングラディシュ、母親が日本とロシアのクォーターで、外見は完全に外国人のローラ。外国の血を受け継いだ抜群のスタイルとセンスは、他の追随を許しませんね。
JOY
二枚目の顔立ちながら、バラエティーを中心にお笑いタレントとして活躍しているJOY。
JOYの本名は、ジョセフ・グリーンウッド。日本人の母と、イギリス人の父との間に生まれました。父親が英会話講師をしているので、日本に生まれながらも英会話を得意としています。
実は彼も、「しゃべくり7」への出演をきっかけにブレイクした一人。
もともとはサッカー選手を目指していましたが、高校1年のときに腰を負傷しサッカーへの道を諦めます。一度は塞ぎ込んでしまった彼ですが、モデルの姉の影響で彼自身もモデルを目指して上京。姉の紹介で男性用ファッション誌「men’s egg」からモデルとしてデビューしました。
モデル活動中、お笑い芸人を目指してピン芸人とコンビを組みますが、「しゃべくり7」への出演をきっかけにJOY一人での仕事が次々と舞い込むようになります。
身長190cmでクールな外見ながら、人柄はモノマネもトークもこなせる三枚目ということが評判になり、一気にブレイク。イケメンハーフタレントとしての地位を築きました。
サンコン
ギニア共和国出身の、オスマン・サンコン。
日本のバラエティー界で一世を風靡していた彼ですが、元は外交官として働いていました。
ギニア大使館が日本に開設されたとき、駐日親善大使として来日し、およそ8年間を日本で過ごしました。
彼は、ギニア日本交流協会からの依頼を受け、「笑っていいとも!」のオーディションを受け、見事合格。最初は2ヶ月に1回程度の出演だったものの、評判が高かったため、火曜日のレギュラーを務めることになりました。これをきっかけに、「笑っていいとも」だけではなく他の番組でも幅広く活動するように。「おもしろい外国人」として、お茶の間の人気者となりました。
デーブ・スペクター
タレントとしてはもちろん、テレビプロデューサーやコメンテーターとしても活動中のデーブ・スペクター。
彼のデビューも、「笑っていいとも」がきっかけでした。お笑い芸人顔負けの話術が話題となり、どんどん活躍の場を広げていきました。
生まれはアメリカで、幼い頃から子役としてCMに数多く出演。小学5年生のころ、日本から転校してきた少年と仲良くなったことをきっかけに、日本に興味を持つようになります。
日本語を毎日50個以上覚えることを日課にし、日本の漫画が読みたい一心で日本人補習校で学び、首席で卒業したそうです。
日本人ですら知らないような単語を駆使する、デーブ・スペクター。彼の勤勉さは、まさに目を見張るものがありますね。
トリンドル玲奈
透明感があるたたずまいの、トリンドル玲奈。
彼女の出身はオーストラリアですが、日本の慶應義塾大学を卒業しました。
父親はオーストラリア人ですが、母親は日本人。幼いころから日本で育った彼女は、高校2年生のときにスカウトされて芸能界デビューを果たしました。
最初は女性ファッション誌「ViVi」のモデルとして活動していましたが、CM出演をきっかけにテレビ業界でブレイクし、女優やタレントとしてもマルチな才能を発揮。
映画への出演も果たし、国際映画祭では最優秀女優賞を受賞しました。まさに才色兼備な彼女の、今後の活躍に目が離せませんね。
フィフィ
鋭い意見が特徴的な、まさに芸能界ご意見番のフィフィ。
彼女は深夜バラエティー番組への出演をきっかけに、芸能界デビューしました。
母国のエジプトから日本に来たのは、2歳のとき。大手音楽企業に勤めていましたが、妊娠をきっかけに退社しました。
育児がひと段落してきたとき、IT企業への面接を受けます。結果は採用だったものの、ちょうど同時期に出演した素人バラエティー番組が人気を呼び、タレントして活動するようになったそうです。
まとめ
今やテレビで観ない日はない、外国人タレント。
デビューのきっかけも様々で、自ら番組に応募した方もいれば、街でスカウトされた方もいます。
もし海外デビューを考えているなら、ぜひ参考にしてみてくださいね。