ニューヨーク

オーディションなび的タレント伝(21) 渡辺直美ーアメリカ行きの背中を押した芸人とは?

2021.06.01 / エンタメ, 芸能人

渡辺直美のプロフィール

渡辺直美さんは、お笑いタレントだけでなく、女優や歌手としても活躍し、InstagramなどのSNSでも注目されており、世界的にも影響力の大きいタレントです。
老若男女に愛される渡辺直美さんの生い立ちや、芸能界デビューするきっかけについて詳しく解説していきます。
はじめに、渡辺直美さんのプロフィールから見ていきましょう。

渡辺直美

生年月日 1987年10月23日
出身地  台湾
身長   157㎝
血液型  A型

海外でも人気があり、知名度も高い渡辺直美さんは、2020年に自身のYouTubeチャンネル「NAOMI CLUB」を開設し、チャンネル登録者数は100万人を超えています。
常に新しいことに挑戦し続け、見ている人を楽しませてくれる渡辺直美さんについて、気になる情報を紹介していきましょう。

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渡辺直美の生い立ちとは

日本人の父親と台湾人の母親のもとに生まれた渡辺直美さんは、台湾の台北県坂橋市で生まれ、茨城県で育っています。
両親と姉との4人家族で生活していましたが、渡辺直美さんが幼い時に両親が離婚し、母親に引き取られます。
日本と台湾を行き来しながら暮らしていましたが、日本語の分からない母親に育てられたことで、ダブルミリテッド(多言語)で、日本語も片言だったそうです。
芸能界に入ってから、ニューヨークに留学する際に受けた検査では、IQ85と判定されましたが、これも3歳までに覚えるべき言葉を、覚えられていないことが原因だったそうです。

日本語が片言であったことも影響し、勉強が苦手な小・中学生時代を過ごした渡辺直美さん。
高校受験にも失敗してしまい、ファミレスでアルバイトをしながら貯金をしていました。
今では明るく元気な渡辺直美さんですが、学生時代は恥ずかしがり屋でありながらも、仲がよく打ち解けた関係の友人の前では、ものまねなどのネタを披露していたそうです。
お笑いに興味のあった渡辺直美さんは、親に反対されながらも、家出同然で芸人の道を志す決意をします。

渡辺直美のデビューのきっかけ

12期生としてNSCに入り、芸人を目指すことになった渡辺直美さんは、入学して1か月後に、同じNSC生の望月愛子さんと「わたもち」というコンビを結成します。
しかし、望月愛子さんが芸人を辞める決意をしたため、コンビは解散。

その後、今度もNSCで同期だったササキりなさんと「フレッシュライム」というコンビを組みますが、方向性の違いを理由に、2007年に解散しています。
ここから渡辺直美さんはピン芸人としてスタートしますが、2008関西テレビで放送された「新春大売出し!さんまのまんま」に、今田耕司さんの一押し芸人として出演し、ビヨンセのものまねを披露して話題となります。

渡辺直美さんのブレイクのきっかけとなったのは、他ならぬビヨンセのものまねですよね。
実は、デビュー当時、まだ日本語が片言だった渡辺直美さんは、コンビを解散して、ピン芸人となり、ジェスチャーで笑わせる芸を考えた結果、たどり着いたのがビヨンセのものまねでした。
今田耕司さんがたまたま見に来ていたライブで披露していたのが目に留まり、テレビ出演をしたことで、他の番組からも出演オファーがくるようになったそうです。

渡辺直美のオーディションエピソード

渡辺直美さんのブレイクのきっかけとなった、今田耕司さんが見に来ていたライブというのは、テレビ関係者を集めた大型のお笑いオーディションだったそうです。
コンビを解散し、絶望していた渡辺直美さんは、当時まだ芸歴1年目で、普通に考えればこのオーディションに参加することは無理だったそうです。

しかし、当時のマネージャーの必死の営業が実り、奇跡的に出場することができました。
新人の時に突然訪れたチャンスの場で、全力でビヨンセのものまねをしたそうです。
後に渡辺直美さん自身も「このオーディションと当時のマネージャーがいなかったら今の自分はいなかったかもしれない」と語っています。

渡辺直美の芸能界での活躍

2008年からビヨンセのものまねで、テレビ出演が一気に増えた渡辺直美さんは、同年に「笑っていいとも!」の14代目いいとも青年隊に抜擢され、鈴木凜さんと共に「いいとも少女隊」として番組アシスタントを務めることになります。
さらに、ビヨンセが在籍していたグループ「デスティニーズ・チャイルド」が発売したファミリーBESTのCM出演も果たすなど、瞬く間に活躍の場を広げていきます。

2011年~2013年にかけては、さらにテレビ出演も増え「史上空前!!笑いの祭典ザ・ドリームマッチ」で2年連続で優勝を果たしています。
2014年には、3ヶ月間のニューヨーク留学、香港テレビ局のスペシャルドラマでの主演を務めるなど、海外での活躍も目立つように。
中国でも人気のある渡辺直美さんは、中国版の紅白歌合戦に出場したこともあり、ビヨンセのパフォーマンスで大絶賛されています。
2017年にはTBSドラマ「カンナさーん」で日本のドラマでも主演に抜擢されています。

また、渡辺直美さんと言えば、インフルエンサーとしても注目を集めており、アメリカのTIME誌が発表した「インターネットで最も影響力がある25人」の中に、日本人として唯一、選ばれています。
Instagramのフォロワー数は949万人で、これは日本人タレントで1位となっています。

2021年の4月からは、アメリカを拠点に活動することを発表しており「最強のエンターティナー」を目指して世界に羽ばたきます。

渡辺直美の芸能界でのエピソード

世界的なエンターティナーを目指して、これからの活躍が期待される渡辺直美さんの、気になるエピソードを集めてみました。

幼少期の壮絶なエピソードとは?

渡辺直美さんが幼い頃から両親はお金のことで喧嘩をするなど仲が悪く、離婚後は台湾人の母親に引き取られ、貧しい生活をすることになります。
飲食店のチラシを見ながらご飯を食べたり、学校の授業で必要な定規やコンパスなども買ってもらえず、指で長さを計ることもあったそうです。
芸能界への憧れが強かったという、渡辺直美さん、あらゆる苦労を乗り越えて、ビッグな夢を掴むというのは、本当に感動しますね。

ニューヨークで初めてのステージとは?

渡辺直美さんが初めてニューヨークの舞台に立つことになったのは、バラエティ番組の企画でした。
10年以上下積みをした、実力のあるドラァグクイーンしか出演できない舞台に出演することになります。
「失敗は許されない」とプレッシャーをかけられる中で、夢だったニューヨークの舞台に立つことになった渡辺直美さん。
得意のビヨンセのものまねを披露すると、パフォーマンスが盛り上がるにつれて、会場ではスタンディングオベーションが起こるほど盛り上がりました。
このステージはきっと、渡辺直美さんがより一層世界を意識するステージになったでしょうね。

アメリカ行きを決意したきっかけは?

渡辺直美さんが、はじめにニューヨークへの留学を希望した時には、日本でも仕事が忙しい時期であったため、事務所に反対され、3ヶ月間という短期間の留学になりました。
帰国後も、アメリカと日本の仕事を両立していた渡辺直美さんは、その状況に苦しむようになり、日本での活動が順調だったため、日本での仕事を優先しようと考え、相談した相手が「千鳥」の大悟さんでした。
すると、大悟さんは「俺らはいけれへんけど、お前は行くチャンスがあるねんで」「日本はワシに任せぇ」と声をかけ、その言葉がきっかけでアメリカでの挑戦を決意したそうです。

日本でのレギュラー番組は全て卒業し、活動の拠点をアメリカに移した渡辺直美さん。
さらなる活躍に期待したいですね。

【マツコ・デラックス】オーディションなび的タレント伝(13)ー引きこもりから芸能界デビュー

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