5人組グループ

【今年で活動休止】国民的アイドルグループ・嵐のデビュー秘話 デビュー曲や年齢とは

2020.11.27 / アイドル

メンバーのプロフィールとは?

2020年で活動を休止する、人気アイドルグループ「嵐」は、デビューしてから順調にトップアイドルへの道を駆け上がったわけではありませんでした。
1999年にデビューして、国民的アイドルとなった「嵐」のデビュー秘話に注目してみましょう。
はじめに、嵐のメンバーのデビュー当時の年齢をおさらいしておきます。

嵐のメンバーのデビュー当時の年齢

・大野智  18歳
・櫻井翔  17歳
・相葉雅紀 16歳
・二宮和也 16歳
・松本潤  16歳

まだ、10代の半ばという年齢でのデビューは、アイドルとしては珍しいことではないかもしれませんが、その後20年もの長期に渡り、アイドルとして活躍するには、たくさんの苦労があったでしょう。
活動休止の時が迫ってきましたが、ここで嵐のデビュー秘話を振り返っていきます。

デビュー前のメンバーの活動は?

1999年にデビューをした「嵐」ですが、デビューするまでメンバー5人はジャニーズJr.としてそれぞれの活動をしていました。
「嵐」結成前の5人の活動を見ていきましょう。

・大野智(入所日 1994年10月16日)

リーダーの大野智さんは、ジャニーズ事務所に入所後1997年に舞台「ジャニーズ・ファンタジーKYO TO KYO」に出演するために京都に滞在しています。
そのため、デビュー当時は、東京で活動し、メディア出演も多い他の4人のメンバーに比べて、知名度が低いと言われていました。
1999年にはジャニーズJr.内のユニット「Musical Academy」として活動をしていましたが、嵐の結成前に脱退しています。

・櫻井翔(入所日 1995年10月22日)

嵐結成後に大学に進学した櫻井翔さんは、ジャニーズJr.時代から学業優先を徹底しており、睡眠時間を削って、芸能活動と学業を両立していました。
テレビや舞台出演にも不在になることも多かった櫻井翔さんですが、人気バラエティ番組「8時だJ」などに出演していました。

・相葉雅紀(入所日 1996年8月15日)

入所後1年ほどで舞台「Stand by Me」に出演、ジャニーズJr.時代にドラマや映画にも出演するなど、メディア出演も多く1999年に「myojo」ジュニア大賞で1位になっています。
また、ジャニーズJr.時代には「MAIN」というユニットで松本潤さん・二宮和也さん・生田斗真さんと4人で活動していた時期もありました。

・二宮和也(入所日 1996年6月19日)

入所時期の近い、相葉雅紀さん・松本潤さんと一緒に舞台に立つことも多く、舞台「Stand by Me」や、Jr.内のユニット「MAIN」でも共に活躍していました。
「8時だJ」にもレギュラー出演しており、ジャニーズJr.黄金期の人気を支えたメンバーの1人です。

・松本潤(入所日 1996年5月17日)

相葉雅紀さんや二宮和也さんと共に、同じユニットで活動しながら、舞台やテレビに出演することが多く「8時だJ」でも目立つ存在でした。
オーディションなしでジャニーズJr.に、エリートコースで入所した松本潤さんは、Jr.時代からドラマ出演などメディア露出が多いメンバーでした。

嵐のデビュー秘話とは?

嵐の結成は、1999年に行われた「バレーボールワールドカップ1999」のイメージキャラクターを務めるグループを作るためでした。
当時のジャニーズJr.のメンバーが50人ほど集まり、皆でバレーボールをしていると、上手くラリーを続ける松本潤さんと二宮和也さんの2人は、ジャニー喜多川さんから、新しいグループに入るように、声をかけられたそうです。
そこに、櫻井翔さんの加入も決まり、当時から歌唱力が評価されていた大野智さんにも声がかかります。
しかし、当時大野智さんはジャニーズ事務所を退所することを考えていました。
そんな中、ジャニー喜多川さんから「レコーディングの手伝い」という名目で呼び出されたそうです。
レコーディング中に、デビューさせられると察した大野智さんは、その後2週間もの間、電話に出ず、音信不通になりました。

そして最後に加入が決まった相葉雅紀さんは、二宮和也さんと仲が良かったことがきっかけで、嵐のメンバーに抜擢されたそうです。
相葉雅紀さんの加入前、他の4人で稽古をしていた二宮和也さんは、なぜかジャニー喜多川さんから「ずっと一緒にやってきた相葉を入れてあげなきゃかわいそう」と怒られたというエピソードがあります。
相葉雅紀さんは、デビュー会見の3日前にジャニー喜多川さんから「パスポート持ってる?」と聞かれたそうなので、持っていなければメンバーに入っていなかった可能性もあります。

実はこの時、事務所を辞めようと思っていたのは、大野智さんだけではなく、大学進学のタイミングだった櫻井翔さんと、海外に行きたいと考えていた二宮和也さんも退所を考えていました。
ハワイでのデビュー会見の直前に決まった5人のメンバーが、日本を代表するアイドルグループになるなんて、ドラマティックな展開ですね。
デビュー当時は、気持ちが揺らぐまま「嵐」としての活動が始まったにも関わらず、誰一人欠けることなく20年もの間、ファンに夢を与え続けてくれた嵐。
活動休止するのは寂しいですが、ここまで走り続けてくれたことに、ファンとしては感謝の気持ちが大きいのではないでしょうか。

話題になったデビュー曲

嵐が結成され、1999年11月3日に「A・RA・SHI」でCDデビューをします。
この曲は「バレーボールワールドカップ1999」のイメージソングとして作られ、オリコン週間ランキングで1位を獲得ました。
CDジャケットの「嵐」の文字は、ジャニー喜多川さんが書いたというエピソードも素敵ですね。
また、作詞を手掛けたのは、Sexy Zoneの菊池風磨さんの父である菊地常利さんです。

そして、嵐のデビュー曲で話題になったのが、スケスケのスケルトン衣装でした。
露出度の高い衣装が話題となりましたが、最初はスケルトン衣装の下に、白のランニングシャツを着ていたそうです。
しかし、ジャニー喜多川さんの「上は脱いだ方がいい」の一言で、白の短パンにスケルトン衣装になったというエピソードがあります。

嵐が国民的アイドルに成長した理由

デビュー前に辞めたいと思っているメンバーが3人もいたという状態から20年、嵐はなぜ国民的アイドルグループに成長することができたのでしょうか。
ファンクラブの会員数は3,000,000人を超えており、ジャニーズ事務所所属のグループの中でも、2位の関ジャニ∞の723,000人に大きく差をつけての1位となっています。

しかし、そんな嵐にも結成5年目に低迷期を迎え、CDをリリースしても1位にはなれず、出演していた番組も次々に無くなっていった時期がありました。
この時、リーダーの大野智さんの中に「辞めたい」という意識はなく、5人の気持が一つになっているのを感じて、頑張れると思い前に進んでいたと、後に語っています。
まさに、ピンチはチャンス、低迷期にメンバーの心が離れることがなかったというのが、嵐の団結力に繋がったということですね。

嵐が上手く波に乗れなかった頃、二宮和也さんが「今あることを全て辞めて、違うことをしてみよう」と提案し、他のメンバーも0からやり直そうと話す中、リーダーの大野智さんは、この意見に反対し「目の前にあることを頑張れないやつが何を頑張れるんだ」と言ったそうです。
デビュー15周年の時に、二宮和也さんは、当時の大野智さんのこの言葉が、今でも仕事の根底になっていると語っています。

その後、松本潤さんが主演した「花より男子」が人気ドラマとなり、嵐が歌った主題歌も大ヒットしたことが、嵐がブレイクするきっかけになります。
「目の前にあることを全力でやる」をモットーに、団結して突き進んできた嵐は、いつしか大人気アイドルグループとして、トップを走り続けてきました。
活動休止まであと少し、今後活動再開があるのかは誰にも分りませんが、多くの人を魅了してきた「嵐」をこれからも応援し続けたいですね。

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