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【武田鉄矢】オーディションなび的タレント伝⑩ー俳優業に進出した理由

2021.03.31 / 芸能人

武田鉄矢のプロフィール

歌手、俳優としてたくさんの名作を生み出してきた武田鉄矢さん。
フォークグループ「海援隊」でデビューするきっかけや、ドラマ「3年B組金八先生」に出演した理由など、武田鉄矢さんに関する気になる情報を見ていきましょう。
はじめに、武田鉄矢さんのプロフィールから紹介していきます。

武田鉄矢

本名   武田鉄矢
出身地  福岡県福岡市博多
生年月日 1949年4月11日
血液型  O型
身長   165㎝

長く芸能界で活躍している武田鉄矢さんは、様々な分野で活躍している多彩な人だというイメージですよね。
実際に作詞家や司会業、他にも「片山蒼」名義で脚本家としても多数の作品を残しています。
武田鉄矢さんの生い立ちから、注目して見ていきましょう。

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武田鉄矢の生い立ちとは

1949年に福岡県福岡市博多で、三人兄弟の末っ子として生まれた武田鉄矢さん。
武田鉄矢さんの父親は婿養子に入っているので、武田姓は母方の名字です。
ちなみに、母方は、平安時代末から戦国時代の武家「武田氏」の末裔だと伝えられています。

「鉄矢」という名前の漢字ですが、親からは「鉄也」と教えられており、真実を知ったのは大学生の時だったそうです。
両親も「鉄也」で出生届を出したと思い込んでおり、試験の時に教官から指摘されて発覚したそうです。
高校時代は生徒会長を務め、大学は福岡教育大学教育学部障害児教育教員養成課程に入学し、7年在籍した後に、中退しています。
大学時代は音楽活動に明け暮れ、結局退学することになってしまいましたが、7年間在学していたのは、芸能界で失敗しても困らないようにと、母が休学届を出し、学費を払い続けてくれていたからだそうです。
学生時代から坂本龍馬を敬愛していて、武田鉄矢さんの代表作・ドラマ「3年B組金八先生」で演じた「坂本金八」の名字は、坂本龍馬から名付けられています。

武田鉄矢のデビューのきっかけ

デビュー前の1970年、福岡市にあるライブ喫茶「照和」で、武田鉄矢さんは海援隊のメンバーとして演奏をしていました。
当時一緒にライブ活動を行っていたグループには、財津和夫さん率いる「チューリップ」もいました。
他にも「照和」では、長渕剛さんや甲斐よしひろさん、陣内孝則さんなど、後の超人気アーティストがライブを行っていました。

武田鉄矢さんの芸能界入りのきっかけは、千葉和臣さん、中牟田俊男さんとの3人組フォークグループ「海援隊」での歌手デビューでした。
デビュー後、武田鉄矢さんが母に向けて書いた詫び状を歌にした「母に捧げるバラード」がヒットし、NHK紅白歌合戦にも出場します。

しかし、華々しい舞台に立ったのも束の間で、翌年の大みそかにはNHK紅白歌合戦をテレビで見ながら、妻と一緒に皿洗いのアルバイトをしていたそうです。

武田鉄矢のオーディションエピソード

福岡で同じライブ喫茶に出演していた「チューリップ」が先に、東京でのデビューを決め、自分たちもデビューをしたいと考えている時に、フォークコンサートで泉谷しげるさんが歌っている姿を見て、東京に進出したい気持ちが高まります。
そんな時に泉谷しげるさんが、自身が所属するエレックレコードからデビューしないかと、海援隊に声をかけます。
すぐに返事ができなかった海援隊のメンバーでしたが、泉谷しげるさんの勢いに負け、デビューが決まったそうです。
そのため、海援隊がデビューする際にオーディションを受けたという情報は見つからず、その後も、オーディションではなく、谷村新司さんに紹介され、レコード会社を移籍しています。

また、1977年に公開された映画「幸福の黄色いハンカチ」で俳優デビューを果たしている武田鉄矢さんですが、それまで音楽活動しか行っていなかったにもかかわらず、出演オファーがあったということなので、俳優デビューでもオーディションに参加したエピソードはありませんでした。

武田鉄矢の芸能界での活躍

「母に捧げるバラード」のヒットでNHK紅白歌合戦出場も果たしましたが、その後人気が低迷します。
妻に生活を支えてもらいながら、活動をしていました。
しかし、映画「幸福の黄色いハンカチ」で俳優デビューをし、武田鉄矢さんが俳優として注目されるようになります。
さらに、ドラマ「3年B組金八先生」で主演の坂本金八を演じ、主題歌の「贈る言葉」がヒットしたことにより、海援隊も再び注目されるようになります。
その後、ドラマ「3年B組金八先生」はシリーズ化され、2011年までの32年間に渡り、スペシャルを含め185本物作品が制作されています。

1982年には海援隊が解散し、武田鉄矢さんはソロ歌手・俳優としての活動が主となりましたが、1994年に「海援隊」は活動を再開しました。

また、CMでも東洋水産「マルちゃん赤いきつねうどん」のCMイメージキャラクターを1978年から務めており、同じ俳優をCMに起用し、長期間放映し続けている商品として、2019年にギネス世界記録に認定されています。

武田鉄矢さんは「片山蒼」名義で映画やドラマ、舞台の脚本を執筆しています。
1982年から公開されていた映画「刑事物語」シリーズでは、原作と脚本は片山蒼名義で、主演を武田鉄矢名義で演じています。

武田鉄矢の芸能界でのエピソード

海援隊としても、ソロとして武田鉄矢さんとしても、長年活躍していますが、芸能界の歴史に残るようなエピソードもたくさんあります。
その中で、武田鉄矢さんの気になるエピソードを紹介していきます。

武田鉄矢さんと映画ドラえもんの関係とは?

最近では、映画ドラえもんの主題歌と言えば、毎年違ったアーティストが担当していますが、武田鉄矢さんは5作目を除く1作目~17作目までの作詞を担当し、6・11・13・15・16作目では歌唱もしています。
ドラえもんの原作者である藤子・F・不二雄さんの強い意志で、テーマソングは武田鉄矢さんの作品でなければいけないとこだわっていたそうです。
一度だけ武田鉄矢さんの降板が提案された時には、藤子・F・不二雄さんが激怒したエピソードもあります。
その後、藤子・F・不二雄さんが亡くなり、武田鉄矢さんからの申し出で勇退しています。

俳優業に進出したきっかけとは?

武田鉄矢さんは、吉田拓郎さんのような歌手を目指していましたが、海援隊の人気が低迷した頃、俳優業に進出する決意をします。
しかし、当時のフォークシンガーはテレビ出演をしない人が多く、テレビに出演する武田鉄矢さんに対する世間からの風当たりは強かったそうです。
しかし、その後、歌手もテレビに出演するのが一般的になり、武田鉄矢さんはその先駆けとして認識されるようになりました。
ちなみに、武田鉄矢さんが尊敬する俳優は高倉健さんと、渥美清さんだそうです。

武田鉄矢は塩対応!?

ファンや一般人への対応が塩対応だと言われている武田鉄矢さん。
ファンから「金八先生大好きです」と声をかけられると「もう終わりました」と答えるそうで、写真撮影を頼まれても断るそうです。
撮影に協力してくれた人など、自分自身に関わる人であれば話は別だけど、通りすがりの初対面の人と一緒に写真を撮る意味が分からないという持論があるそうです。
ちなみに、握手やサインも基本的にはNGなんだそうですよ。

こだわりを持って歌手・俳優として活躍し続けている武田鉄矢さん。
最近は、情報番組のコメンテーターなどでも活躍しているので、今後も様々な分野で活躍してほしいですね。

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