氷川きよしのプロフィール
演歌界のプリンスと呼ばれる氷川きよしさん。
今では、歴史ある演歌界を支える歌手の一人として、NHK紅白歌合戦にも何度も出場しています。
幅広い年齢層から人気を集める氷川きよしさんについて、気になる情報を詳しく紹介していきます。
はじめに、氷川きよしさんのプロフィールから見てみましょう。
氷川きよし
本名 山田清志
生年月日 1977年9月6日
出身地 福岡県福岡市
身長 178㎝
血液型 A型
福岡県で生まれ育った氷川きよしさんが、演歌歌手を志したきっかけや、デビューのエピソードなどを、解説していきます。
氷川きよしの生い立ちとは
3770gと大きく元気な赤ちゃんとして、福岡県福岡市で生まれた氷川きよしさん。
兄弟はおらず、一人っ子で、タクシー運転手の父親は、とても厳しかったそうですが、歌が上手い人だったそうです。
氷川きよしさんも、父親の歌をよく聞いていました。
幼稚園の頃は、とても人見知りで、大人しい性格だった氷川きよしさんは、叔母と一緒に松田聖子さんのコンサートに行ったそうです。
その影響で、氷川きよしさんは子供の頃、よく松田聖子さんの歌を歌っていたそうです。
当時から、歌が上手かった氷川きよしさんは、みんなの前で歌うと、よく褒められていました。
小学生になると、甘いものが大好きな氷川きよしさんは、ぽっちゃり体型になり、友人からもからかわれるようになります。
中学生になる頃には、体型が原因でいじめられるようになり、意を決してダイエットをしたそうです。
見事にダイエットに成功した氷川きよしさんは、高身長のイケメンとして、モテモテの高校生へと成長します。
高校時代には多数の女の子から告白されたことがあったそうです。
氷川きよしのデビューのきっかけ
氷川きよしさんのデビューのきっかけは、高校3年生の時に出場したカラオケ大会でした。
小さなころから歌が好きな気持ちは変わらず、高校でも芸能部に所属し、歌のレッスンを受けていました。
しかし、当時の氷川きよしさんは、演歌歌手になるつもりはなく、好きなジャンルはJ-POPやロックでした。
当時歌を教えてくれていた先生が、演歌の指導しかしておらず、やむをえず演歌を歌っていたそうです。
デビューのきっかけとなったカラオケ大会にも演歌で出場したところ、準優勝に選ばれます。
この時、審査員を務めていた、作曲家の水森英雄さんのスカウトにより、デビューすることが決まります。
高校卒業後に、福岡から上京し、22歳の時に「箱根八里の半次郎」で歌手デビューしますが、この曲は新人としては異例となる、売上100万枚を突破しています。
氷川きよしのオーディションエピソード
氷川きよしさんのデビューのきっかけとなったカラオケ大会は、NHKの「BS歌謡曲あなたが一番」でした。
ここでスカウトされているので、氷川きよしさんのデビューのきっかけは、オーディションではありませんが、実力を競うコンテストですので、たくさんの参加者の中で選ばれて準優勝に輝いたことになります。
スカウトを受けて、高校を卒業してすぐに上京したものの、デビューまでの4年間は、順風満帆とはいかなかったそうです。
当時は週に一回、歌の師匠の所に通い、氷川さんと同じ時期に弟子だった3人と、誰が一番早くデビューできるのかを、競っているようなプレッシャーもありました。
他の弟子はみんな歌が上手く、焦りもあって、氷川きよしさんは演歌以外のオーディションを受けることもあったそうです。
ポップスなど他の分野の歌手にも心を揺さぶられながらも、恩師への強い思いを胸に、演歌の世界に留まりました。
氷川きよしの芸能界での活躍
氷川きよしさんは、2000年に、大ヒット曲「箱根八里の半次郎」でデビューし、この年に日本レコード大賞・最優秀新人賞を受賞し、NHK紅白歌合戦にも出場しています。
その後、2020年の紅白歌合戦まで、21年連続で紅白歌合戦に出場しています。
氷川きよしさんと言えば、アイドルのようなルックスだけでなく、歌唱力が高い「実力派」としても注目が集まり、デビュー当時から、女性ファンを中心に人気を集めます。
また、2001年から「演歌名作コレクション」を発売しており、全ての作品がオリコンアルバムチャートのベストテン入りを記録しています。
2006年には、日本レコード大賞を受賞し、歴代4人目となる3冠、2007年には日本有線大賞で史上初となる4回目の受賞を達成するなど、氷川きよしさんが歌謡界に残した功績は数えきれません。
その後2008年には、NHK紅白歌合戦で大トリという大役を務めるなど、日本の演歌界を代表するトップスターになりました。
2017年にリリースした「限界突破×サバイバー」がヒットし、演歌の枠を超えて活躍している氷川きよしさん。
今後もジャンルにとらわれず、様々な音楽に挑戦していくそうです。
演歌に限らず、様々なジャンルの音楽でも才能を発揮している氷川きよしさん。
氷川きよしさんの活躍が、若い世代にも演歌の魅力を広めたと言えますね。
氷川きよしの芸能界でのエピソード
氷川きよしさんの生い立ちから、芸能界デビューまでを紹介しましたが、最後に印象的なエピソードを紹介します。
「氷川きよし」の名付け親は?
氷川きよしさんのデビュー当時は、芸名の名付け親がビートたけしさんであることが話題となりました。
しかし、実際は当時のプロダクション会長であった長良じゅんさんが、プロダクションの近くにあった「氷川神社」から氷川、本名の「清志」からきよしを取り「氷川きよし」と名付けました。
会長は、氷川きよしさんのデビュー前に、ビートたけしさんに会わせ、話題作りのために、名付け親はビートたけしさんということにしたそうです。
大好きなアニメは!?
氷川きよしさんの活躍と言えば、演歌とはガラリと印象が変わった、ヒット曲「限界突破×サバイバー」が話題となりました。
この曲は、アニメドラゴンボールのテーマソングになっています。
実は、氷川きよしさんはアニメ「ドラゴンボール」の大ファンであり、紅白歌合戦の応援ゲストとして、声優の野沢雅子さんが駆け付けたこともあります。
2019年に氷川きよしさんがこの歌を歌った映像が、公式YouTubeアカウントにて公開されると、公開から約10日で再生回数100万回を超えました。
演歌を歌うきっかけになったのは…
高校生の時に芸能部で歌を教えてくれたのは、おじいちゃん先生だったそうです。
おじいちゃん先生から「演歌を歌ってくれないか?」と声をかけられ、あまり乗り気ではなかった氷川きよしさんは「演歌はあまり分からないんで…」と断りました。
すると、おじいちゃん先生が、とても悲しそうな顔をしたのを見た氷川きよしさんは、何となく気の毒に思えて「勉強して歌ってみます」と答えたのが、演歌の出会いだったそうです。
おじいちゃん先生からの誘いと、氷川きよしさんの優しさがなければ、演歌界の大スター・氷川きよしは誕生していなかったかもしれませんね。
歌声だけでなく、生きざまも素晴らしい氷川きよしさん。
これからも、様々なジャンルで活躍してほしいですね。