丸メガネ

オーディションなび的タレント伝(22) 加藤茶ーザ・ドリフターズに加入したきっかけとは

2021.06.23 / 芸能人

加藤茶のプロフィール

「ザ・ドリフターズ」のメンバーとして、1960年代後半からお茶の間の人気者として活躍し、コメディアン、ミュージシャン、俳優と、多彩に活躍してきた加藤茶さん。

50年以上もの長い間、芸能界で活躍している加藤茶さんの人生には、どのようなストーリーがあったのか気になりますよね。
加藤茶さんの生い立ちから、芸能界での活躍まで、気になる情報を紹介していきます。
はじめに、加藤茶さんのプロフィールから見ていきましょう。

加藤茶

本名   加藤英文(かとうひでゆき)
出身地  東京都世田谷区
生年月日 1943年3月1日
血液型  A型
身長   163㎝

「加トちゃん」の愛称で、皆に愛されてきた加藤茶さんは、どのようにして芸能界に入ったのでしょうか。
まずは、加藤茶さんの生い立ちから順に紹介していきます。

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加藤茶の生い立ちとは

1943年に東京都世田谷区で生まれた加藤茶さんは、その後転居して福島県福島市で育ちます。
父親はギタリストの平八郎さんで、加藤茶さんがまだ子供の時に亡くなっています。
兄弟は妹が一人おり、父親が亡くなった後は、母親が飲食店を経営しながら一家を支えていたそうです。
コントでは日本中を笑わせていた加藤茶さんですが、少年時代は目立って笑いをとるようなタイプでもなく、妹のお弁当を作ってあげるなど、母親を支えていました。

少年時代には、泳ぐことが得意で、学校で行われた水泳大会で、他の生徒がクロールで泳ぐ中、加藤茶さんだけ平泳ぎで優勝したこともあったそうです。
中学卒業後は、高校に進学しますが、ギタリストだった父親の影響もあり、音楽が好きだった加藤茶さんは、高校を中退してトロンボーン奏者を目指し、上京します。

叔母を頼って上京し「スターダスターズ」というバンドに加入しますが、マネージャーと喧嘩をしてクビになってしまいます。
その後は、先輩から捨てておくように頼まれたドラムスティックで、ドラムの練習を始め、ドラマーとして「クレージーウエスト」に加入しています。

加藤茶のデビューのきっかけ

加藤茶さんは「ザ・ドリフターズ」でドラムを担当していましたが、最初はドラマーのチコ菊池さんがマンツーマンで指導してくれたそうです。
クラブでの演奏の休憩時間を使って、毎日2時間練習し「ザ・ドリフターズ」加入前に参加していた「クレイジー・ウエスト」というバンドも、チコ菊地さんが紹介してくれました。

「ザ・ドリフターズ」のメンバーとして、芸能界デビューを果たしていますが、1961年にドラマーとして加入した「クレージーウエスト」で、後に「ザ・ドリフターズ」のメンバーとなる、仲本工事さんと出会っています。
1962年に「桜井輝夫とザ・ドリフターズ」に、加藤茶さんは、いかりや長介さんと同じ時期に加入しています。

「ザ・ドリフターズ」はメンバーの入れ替わりが激しく、初期メンバーには坂本九さんや小野ヤスシさんもいました。

1964年には「ザ・ドリフターズ」の初レギュラー番組「ホイ・ホイ・ミュージック・スクール」が始まり、この番組で加藤茶さんのギャグ「加トちゃんぺ」が誕生しました。
バンドとしてもコメディグループとしても人気を博した「ザ・ドリフターズ」の中で、1964年当時は加藤茶さんが最年少メンバーでありながら、人気ナンバー1のメンバーでした。

加藤茶のオーディションエピソード

「ザ・ドリフターズ」に加入する前に、別のバンドで活動していた19歳の頃、方言を喋る面白い若者がいると、バンド仲間の楽屋では加藤茶さんのことが話題となっていました。
その話を聞きつけて「桜井輝夫とザ・ドリフターズ」のメンバーにスカウトされます。

スカウトで加入した後に「ザ・ドリフターズ」として国民的な人気を得たため、加藤茶さんにはオーディションのエピソードはありませんでした。
バンドを紹介してもらったり、楽屋の人気者としてスカウトされたりと、加藤茶さんが人格者であることがよく分かりますよね。

加藤茶の芸能界での活躍

1964年に「ザ・ドリフターズ」のメンバーとして、レギュラー番組に出演することになり、一躍人気者となった加藤茶さん。
当時のメンバーだった小野ヤスシさんらが脱退し、心機一転活動を始める時に、先輩のハナ肇さんから「芸事で食べていくなら、水に関わる芸名がいい」とアドバイスされ「加トちゃんと呼ばれているから加藤茶がいい」と言われたので、芸名を加藤茶にしたそうです。
それまでは本名の加藤英文で活動していました。

1969年に始まった「8時だョ!全員集合」では、多くの一発芸と、ハゲズラに丸メガネのキャラクターなどを生み出しています。
「ちょっとだけヨ」のギャグもこの番組で誕生しました。

「8時だョ!全員集合」が終了した後は、志村けんさんと共に「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」がはじまり、子供たちの間ではカリスマ的な人気を誇り、老若男女に愛されるコメディアンとして活躍します。
また、俳優としても主演ドラマ「パパと呼ばせて!」や、数々の映画に出演し、演技でも実力を発揮するようになります。

加藤茶さんの主な出演番組

・加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ(1986年/TBS)
・やったぜ!加トちゃん(1987年/TBS)
・クイズ!加トちゃんの1!2!3!(1989年/フジテレビ)
・パパと呼ばせて!(1992年/テレビ東京)
・はぐれ刑事純情派(1998年~/テレビ朝日)
・鬼嫁日記 いい湯だな(2007年/関西テレビ)

他にも、映画やラジオ番組など様々なジャンルで出演歴があります。

また、2011年に加藤茶さんが68歳の時に、45歳年下の綾菜さんと結婚して、話題となります。
その後は、夫婦そろってのテレビ出演が増え、年の差夫婦の日常がバラエティ番組を中心に取り上げられるように。
最初は、年齢差を理由に、妻に対して「財産目当ての結婚」という内容のバッシングが多かったのですが、現在はパーキンソン病を患った加藤茶さんを献身的に支える姿に、応援する声も増えていますよね。

加藤茶の芸能界でのエピソード

長い芸能生活の中で、加藤茶さんにはたくさんの気になるエピソードがありました。
その中から、特に気になったものを紹介していきます。

・バンドを始めた時の給料は?

東京に出てきて初めて入ったバンド「スターダスターズ」での月給は、5,000円だったそうです。
叔母の家を出て住み始めたアパートの家賃が3,500円だったので、ご飯が食べられない日もあったそうです。
その後、ドラムを始めて「ザ・ドリフターズ」に加入した当初の月給は15,000円になりました。
加藤茶さんがドラムを始めたきっかけも、本当はトロンボーン奏者になりたかったけれど、お金がなかったため、スティックさえあればどこでも練習できると思い、膝の上や机の上をたたいてドラムの練習していたそうです。

・志村けんとの関係とは?

「ザ・ドリフターズ」として大ブレイクした後には「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」など、一緒に仕事をする機会が多かったのが志村けんさんです。
「ザ・ドリフターズ」のメンバーだった荒井注さんが脱退することになり、当時付き人をしていた志村けんさんを、新メンバーに推薦したのは加藤茶さんでした。
志村けんさんの加入後は、加藤茶さんがサポート役に回り、志村けんさんは「ザ・ドリフターズ」の人気ナンバー1メンバーへと成長します。
志村けんさんは自身の著書で当時のことを「後から入ってきていい所を取りやがって」というギスギスした空気にはならなかったと語っています。
加藤茶さんも「志村がいてよかった」と言っており、加藤茶さんがメンバーの関係性を調整する重要な役割を果たしていたことがよく分かるエピソードですね。

・ザ・ドリフターズを辞め損ねた!?

国民的人気グループとなった「ザ・ドリフターズ」でしたが、超人気番組となった「8時だョ!全員集合」は、公開生放送で毎週放送されており、ネタ作りや稽古など、かなりハードなスケジュールをこなしいました。
疲れてネタも思いつかなくなった時、荒井注さんから「脱退を考えている」と相談された加藤茶さん。
そして、加藤茶さんも一緒にいかりや長介さんに話そうと約束をしたにもかかわらず、荒井注さんは先に1人で脱退を申し出てしまったそうです。
荒井注さんの話を聞いて「大変なことになった」と焦るいかいかりや長介さんを見て、自分もやめるとは言い出せずに、そのままメンバーとして残ることになったそうです。

苦楽を共にした志村けんさんが亡くなられて、自身も病と闘っている加藤茶さん。
日本を代表するエンターティナーとして、まだまだ見続けたいですね。

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