関ジャニ∞のメンバーであり、最近では俳優としても活躍している横山裕さん。
役柄ではクールな雰囲気が漂うことが多いですが、バラエティ番組で見せる姿はとても熱く、笑顔に溢れています。
今回は「横山裕さんのデビューエピソード」をご紹介します!
とても人気のある横山さんですが、その生い立ちやデビューエピソードをリサーチしていると、苦労が今に生きていることを感じられます。
早速、見ていきましょう。
この記事は、こんな人におすすめ
・横山裕さんが好き
・ジャニーズが好き
・関ジャニ∞のファンである
・芸能人のデビューエピソードを知りたい
関ジャニ∞の横山裕さんってどんな人?
関ジャニ∞の横山裕さん。
大阪に1981年5月9日に生まれた38才で、現在はアイドル・俳優だけではなく、バラエティー番組でも力量を発揮しています。
実は芸名で、本名は横山 侯隆(よこやま きみたか)さんです。
仲の良いジャニーズのメンバーは「きみちゃん」と呼ぶことも多く、昔から知っている仲間の間では本名で呼ばれているようです。
ちなみに、芸名の名付け親はジャニー喜多川さんらしく、横山さんはその時のエピソードをバラエティー番組でよく話していますよ。デビュー当時は本名で活動していましたが、ジャニー喜多川さんから「YOU!この漢字が読めないよ!」と言われてしまったそうです。
確かに、なかなか珍しい名前なので読みにくいかもしれませんね。そこで、皆さんご存じのジャニーさんの口癖である「YOU」から「裕(ゆう)」という、誰からも呼ばれやすい名前になったようです。
世の中に広く浸透させるためには、名前の呼びやすさも重要というわけですね!
横山裕のデビューエピソードには、亡き母が関係している
横山裕さん自身が芸能界を目指したというよりは、彼のデビューエピソードには、亡きお母様が大きく関係していると言えます。
なぜなら、横山裕さんの今は亡きお母様がジャニーズ事務所に履歴書を送ったんですって。横山さんが中学3年生の時に、同級生のジャニーズJr.がテレビで活躍している姿を見ると「これなら、うちの子も入れるんじゃない?」と思い、送ったというエピソードがあります。
芸能界にデビューする最初のきっかけを作ったのは、お母さんだったのですね。その後、見事に書類審査を通過してオーディションを受けるわけですが…これは間違いなく横山さんの実力です。
運命のオーディション!まさかのタッキーに落とされる?
同年の12月25日、運命のオーディションの日がやって来ましたが…横山裕さんはここで、まさかのタッキーに落とされかけます。タッキーが引退するときに、ジャニーさんがタッキーにオーディションの手伝いをさせていたエピソードが放送されましたが、横山裕さんのオーディションもしていたんですね!
タッキーは、横山さんのことを不合格にしようと思ったそうですが、彼の運命が大きく変わったのは「トイレ」です。オーディションの帰りにトイレに立ち寄ったところ、まさかのジャニーさんと遭遇して「You、舞台観に来る?」と誘われたんですって!
これが、本当にミラクルですよね。
芸能人って運も大事と言いますが、その点ではすでに横山裕さんはクリアしているように思えます。
またまた運命なのですが、このオーディション会場には、関ジャニのメンバーでもある村上信五さんもいたとのことで、横山裕さんがさまざまな奇跡を通して、デビューにつながっていたんだなということが分かります。
その後は、関西ジャニーズJr.として活動を続けて、なんと関西ジャニーズJr.内ユニット・ヤングジャニーズのリーダーもしていました。きっと横山さんの誠実な性格とコミュニケーション能力の高さが評価されたのでしょうね。
ついに関ジャニ∞でデビュー!
グループとしてデビューをしたのは、2002年です。彼らがデビューした時は、今までのジュニアたちとはちょっとノリが違っていて、「かっこいいのに面白いお兄ちゃんたちがデビューをしたんだなぁ」という印象を受けました。
2004年には「浪花いろは節」という、いかにも大阪っぽい曲でCDデビュー!
ビックリするのは、デビューから5年後の2007年12月に、横山裕さんはソロコンサートを行っているという事実です。
大阪松竹座で初のソロコンサート『横山YOUがヤっちゃいますコンサート』を開催した事実から、デビュー直後から横山さんがグループ内でも特別なポジションだったことが伺えます。亡きお母さんが「うちの子もやれるんちゃう?」と履歴書を事務所に送ったことをきっかけに、横山裕さんの人生は大きく変わってきましたよね。
デビューの裏には、こんな苦労エピソードがある
誰だって苦労はあるものですが、横山裕さんは本当に苦労を重ねたからこそ、今の活躍があると思います。彼が色々と苦労をしてきたことは、ファンの方ならご存知のはずです。
横山裕さんは男3人兄弟の長男として生まれ、家族のことを考えて高校には行かないで建設会社に就職をしました。後に、番組内で高校卒業を認める資格を取得しています。
ここで面白いのが、関西ジャニーズジュニアとしてテレビ局に出入りする時のエピソード!
他のジュニアたちが学校帰りに制服姿で続々と集まってくる中で、横山裕さんだけが建設現場帰りで登場していたそうです。スタッフからは、その姿に苦言を呈されていたようですが・・・。
建設会社のスタッフからもとても慕われていた横山さんは、その後ジュニアの仕事に一本化するために退職する時でも「いつでも戻ってきていいよ」と言われたそうです。何だか、横山裕さんの人柄の良さがにじみ出るエピソードですよね。
最愛のお母さんの急逝
でも、横山さんをとてつもなく悲しい現実が襲います。2010年5月に、自分がジャニーズに入るきっかけを作ってくれた、最愛のお母さんが急逝してしまうのです。
お母さんもライブに足を運んで息子の活躍を見守っていたそうで、母子家庭で育ったからこその強い絆があったのは、ファンなら誰もが知っている事実。横山裕さんのデビューエピソードを語るには、お母さんの存在はなくてはなりませんものね。
御病気をされていたのならある程度の覚悟ができますが、いつものようにスーパーに行った帰りに突然倒れて亡くなってしまったとのことで、受け入れるまでに時間がかかったことでしょう。その時、横山さんはソロコンサートで全国を廻っている最中で、しかも開演の4時間前にその知らせを聞いたんですって。
普通なら、コンサートなんてできる精神状態ではありませんよね?
横山裕さんは29才、お母さんはまだ50歳という若さですから、「死」なんて想像もできなかったはずです。でも、横山さんはファンのことを想い、スタッフのことを考えて、予定通りに全国コンサートを廻りました。
人の前に立って話せる状態ではないはずなのに、泣き崩れてしまいそうなはずなのに、ファンのために精一杯のパフォーマンスを魅せてくれたのです。
横山裕さんは当時を振り返って、こんなことを言っていました。
「人生で一番泣いた。後にも先にもあんな辛いことはないが、(コンサートをすることに)迷いはなかった」「僕が笑ってステージに立たないで家に帰ったら、そんなのオカンもイヤやろうな」とのこと。
何だか涙なしには語ることができない、エピソードです。デビューのきっかけはお母さんが作ってくれたもの、だからこそ天国にいるお母さんに自分が頑張っている姿を見せたいという横山さんの想いは、本当に素晴らしいです。
お母さんの御葬儀には、一緒に苦労を共にしている関ジャニ∞のメンバー全員が参列したとのことで、メンバー同士の絆の強さも感じることができます。
まとめ。横山裕さんのデビューエピソードは亡き母が関係している
今回は、横山裕さんのデビューエピソードをご紹介しました。
デビューには亡きお母さんが関係していること、苦労を重ねて現在の横山さんが存在していることを感じさせられるエピソードばかりでしたね。
本当に応援したくなります!
もう一度、まとめてみると↓
・デビューのきっかけは、お母さんが事務所に履歴書を送った
・タッキーに一度、落とされかけた
・トイレでジャニーさんに出会うミラクル
・デビュー直後からソロコンサート
・最愛のお母さんの急逝
・亡き母のため、ファンのためにスケジュール通りにコンサートを行う、プロ根性
横山さんのデビューエピソードを語る時に、どうしてもお母さんとのエピソードは欠かせません。
いつまでも、横山裕さんの活躍を見守っていてくれるはずです!