漫才

【松本人志】オーディションなび的タレント伝⑨ー松本人志が影響を受けた人物とは

2021.03.30 / 芸能人

松本人志のプロフィール

漫才コンビ「ダウンタウン」の松本人志さんと言えば、日本のお笑い界を支えるスターですよね。
最近は漫才をする姿はあまり見られなくなりましたが、バラエティ番組、お笑い番組での活躍はもちろん、コメンテーターやお笑いコンテストの審査員などでも大活躍です。
生きる伝説とも言えるような、カリスマ的な存在である松本人志さんには、どんな生い立ちやデビューのきっかけがあったのでしょうか。
はじめに、松本人志さんのプロフィールから見ていきましょう。

松本人志

本名   松本 人志(まつもと ひとし)
出身地  兵庫県尼崎市
生年月日 1963年9月8日
血液型  B型
身長   172㎝
最終学歴 兵庫県立尼崎工業高等学校卒業

現在活躍している芸人の中でも、ダウンタウンの影響を受けてお笑いの仕事を始めた人がとても多く「天才」と言われる才能は、多方面から高く評価されています。
そんな松本人志さんに関するエピソードを、詳しく紹介していきます。

20160416_CTA_2

デビュー前の松本人志の生い立ち

兵庫県尼崎市に三人兄弟の末っ子として誕生した松本人志さん。
兄と姉がいますが、兄の松本隆博さんは、シンガーソングライターとして、テレビなどで松本人志さんと共演することもありました。
子供の頃は「自転車を買ってもらえなかった」「外食をしても安そうなメニューを選んでいた」など、貧しかったエピソードを話すこともあります。

貧しい家庭で育ち、父親からはあまり褒められることがなかったそうで、実際に勉強も運動も苦手で、人見知りな性格の少年だったそうです。
小学生時代に、引っ込み思案なため、なかなか友達ができなかった松本人志さんですが、小学生の頃から漫才には夢中でした。
小学校の修学旅行で、漫才を披露して友達が増えるなど、当時から松本人志さんの漫才は評判がよかったそうです。

中学生時代は、放送部に所属し、仲の良い友達と放送室に集まり、楽しい時間を過ごしていたそうです。
小学生の時に転校してきた浜田雅功さんと、松本人志さんが仲良くなったのは、中学生の時でした。
ちなみに、同級生には、浜田雅功さん以外に、後に「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」の放送作家となる、高須光聖さんもいました。
そして、18歳の時に、相方の浜田雅功さんに誘われる形で、漫才コンビを結成します。

松本人志のデビューのきっかけ

高校を卒業し、就職先が決まっていた松本人志さんでしたが、競艇選手の試験に落ちた浜田雅功さんから「吉本に入ろう」と誘われ、当時できたばかりのNSC(吉本総合芸能学院)の1期生として入学します。
相方の浜田雅功さんと一緒にスナックでアルバイトをして、帰りは大阪の難波から尼崎まで歩いて帰り、スナックのママからもらったタクシー代を、生活費にあてていたそうです。
他にも、お金がなかったから、実家の母親にお弁当を作ってもらったり、浜田雅功さんと1杯のうどんを分け合うなどして、下積み時代を過ごします。

同期には「ハイヒール」「トミーズ」などがおり、当時から才能があると言われるコンビだったダウンタウンですが、すぐに人気が出たわけではありません。
NSCを卒業後「青空てるお・はるお」「まさし・ひとし」「ライト兄弟」などのコンビ名の候補の中から「ダウンタウン」に決め、関西を中心に活動を始めます。
しかし、デビューから2年位は、思うように人気が出ませんでしたが、当時から自分たちの「お笑い」には自信を持っていたそうです。

松本人志のオーディションエピソード

若手のお笑い芸人は、仕事に繋がるオーディションをたくさん受けながら活動しますが、時にはドラマや映画など、お笑いではない仕事のオーディションを受けることがあります。
松本人志さんも若手時代、1987年に公開された映画「瀬戸内少年野球団・青春篇 最後の楽園」で主演を務める田原俊彦さんの、弟分役のオーディションに参加していました。

オーディション会場では、松本人志さんのトーク力で、笑いも交えながら終始良い雰囲気で審査が進められていたそうです。
松本人志さんの感覚では、ほぼ合格間違いないだろうと思っていたそうですが、審査員からの「主演の田原俊彦さんのことをどう思いますか?」という質問に対し「別に…」と答えてしまい、結果は不合格になってしまったそうです。

また、お笑い芸人はオーディション以外にも、様々なコンテストを受け、新人賞などに選ばれることで、人気や知名度が上がります。
ダウンタウンは、NSC在学中に毎日放送で開催された「素人名人会」で名人賞を受賞、他にも「第3回今宮子供えびすマンザイ新人コンクール」にて福笑い賞を受賞しています。
他にもお笑いのコンテストなどに出演していましたが、実力は認めながらもなかなか知名度が上がらずにいました。

松本人志の芸能界での活躍

「面白い若手がいる」と評価されながらも、人気が上がることがなかったダウンタウンでしたが、1987年にメインを務めるバラエティ番組「4時ですよーだ」が毎日放送で開始され、関西での人気が爆発します。
2年後には、東京に進出し、全国ネットの番組でも多数のレギュラーを務めるようになりました。

そして、伝説の人気番組「ダウンタウンのごっつええ感じ」が、フジテレビで放送されるようになり、ダウンタウンは最も勢いのあるお笑い芸人として認知されるようになりました。
「ダウンタウンのごっつええ感じ」は、人気絶頂期には、視聴率20%を超える超人気番組でした。

人気が上昇しするとともに、音楽番組のMCなどの仕事など、多方面で活躍するようになりましたが、松本人志さんはお笑いへのこだわりが強く、1995年には1人で初めてとなるお笑い単独ライブを開催しています。

その後、2000年代には、日本テレビ系のドラマ「伝説の教師」で中居正広さんとW主演を務め、音楽グループ「Re:Japan」を結成し、CDリリースを行うなど、活躍の幅を広げます。

最近では「M-1グランプリ」などのコンテストで審査員を務めたり、フジテレビで放送される情報番組「ワイドナショー」で司会を務めるなど、お笑い界のカリスマとして不動の地位を築いています。

松本人志のエピソード

漫才コンビ「ダウンタウン」だけでなく、松本人志としても常に注目される存在ですが、カリスマ的な存在ならではのエピソードもたくさんあります。
その中で、気になるエピソードを紹介していきます。

松本人志が流行らせた言葉

松本人志さんがテレビに出演すると、絶対に面白いことを言ってくれるだろうと期待してしまうほど、発言が注目されている芸人です。
そんな松本人志さんが、流行らせた言葉は、たくさんあります。
例えば「空気を読む」「へこむ」「ドヤ顔」「ドン引き」など、今では当たり前のように使っている言葉は、松本人志さんが使い始めて流行したと言われています。
また、素人でも笑いをとろうとした人に対して「さむい」「すべってる」とツッコむことがありますが、これも松本人志さんが始まりだそうです。
他にも「シュール」「ブルー」「逆に」「キャラが濃い」「かぶってる」など、松本人志さんが流行らせたと言われる言葉は本当にたくさんあり、影響力の強さがよく分かりますよね。

松本人志が影響を受けた人物とは

お笑いに対する情熱が強く、大御所になっても体を張った仕事もこなす松本人志さんですが「お笑い一本で勝負する」姿勢は、志村けんさんからの影響を受けているそうです。
また、松本人志さんが東京に進出した時にも「困ったことがあれば俺に言えよ」と関東の芸人で初めて優しく声をかけてくれたのも、志村けんさんだったそうです。

後輩想い

後輩の面倒見がいいことでも知られる松本人志さんですが、実際に松本人志さんに救われた若手芸人もたくさんいます。
仕事の相談をされる機会も多い松本人志さんですが、1人1人に的確なアドバイスを送って背中を押してくれる存在として慕われています。
例えば、月亭方正さんは、共演した番組のDVDのギャラが多く振り込まれており、松本人志さんに確認すると「お前がもらうべきギャラや」といって、松本人志さんの分のギャラを振り込んでくれていたそうです。
また、ココリコの遠藤章造さんは、再婚することがスポーツ紙のスクープによって、前妻の子供に伝わってしまい、落ち込んでいたところ、テレビ番組で松本人志さんが、代わりに怒ってくれているのを見て、心が救われたそうです。

カリスマ的な存在で、影響力の強い松本人志さん。
これからも、お笑い界のトップを走り続けて欲しいですね。

【明石家さんま】オーディションなび的タレント伝③ー本人も忘れられない爆笑エピソード

20160416_CTA_2