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【タモリ】オーディションなび的タレント伝①ーデビューのきっかけは4カ国語麻雀の原点⁉︎

2021.03.18 / 芸能人

タモリのプロフィール

バラエティ番組や音楽番組での「司会者」として、多くのレギュラー番組を抱えるタモリさん。
ビートたけしさん、明石家さんまさんとともに「お笑いビッグ3」と呼ばれる、日本を代表するタレントの1人です。
芸能人として大成功したタモリさんですが、芸能界でデビューを果たしたのは30歳の時でした。
はじめに、タモリさんのプロフィールから見ていきましょう。

タモリ(森田一義)

出身地  福岡県福岡市
生年月日 1945年8月22日
血液型  O型
身長   161㎝
学歴   早稲田大学第二文学部西洋哲学専修除籍

芸達者で多趣味なことでも知られるタモリさんは、現在も「ミュージックステーション」「タモリ倶楽部」「ブラタモリ」など人気番組に出演しています。
最近では見かけることがなくなった、タモリさんの芸ですが、イグアナや生まれたての子馬などのリアルな動物ものまねや、インチキな外国語を使ったネタなど、デビュー当時は、多彩な芸風で人気でした。

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タモリの芸能界デビューのきっかけとは

大学生の時から学生バンドの司会としてラジオに出演していましたが、大学を辞め一度は地元・福岡に戻り様々な職業を転々としていました。
そんな時、日本のサックス奏者・渡辺貞夫さんのコンサートが福岡で行われ、スタッフをしていた友人が泊まっていたホテルに遊びに行ったタモリさん。
帰宅しようと友人の部屋を出たタモリさんは、コンサート出演のために同行していたジャズピアニスト・山下洋輔さんたちが飲んで騒いでいる部屋を通りかかり、部屋に乱入します。
山下洋輔さんと一緒にいた、ジャズテナーサックス奏者の中村誠一さんがデタラメな外国語でタモリさんをなじると、タモリさんはさらにデタラメな外国語で答えました。この様子が大ウケ。
この日タモリさんは「森田です」と名前だけ伝えて帰ったそうです。

後日、山下さんは福岡でタモリさんを探し始めたところ、当時喫茶店の奇妙なマスターとして、地元で有名になっていたタモリさんに再会することができました。
すると、山下さんから噂を聞いた東京のバーの常連達が、タモリさんに会いたいと、カンパを行いタモリさんを上京させます。
すると、この噂を聞いた漫画家でタレントの赤塚不二夫さんも、タモリさんの芸に惹きつけられ、自身の特別番組に出演させます。

タモリさんにとって芸能界デビューのきっかけとなったのは、赤塚不二夫さんとの運命的な出会いだったということですね。
また、福岡にタモリさんを帰らせたくなかった赤塚不二夫さんは、月に数十万円のお小遣いを渡し、自身のマンションや車を自由に使わせていたそうです。
タモリさんはその後、大手芸能事務所・田辺エージェンシーと契約を結び、芸能界入りをしています。
独特な芸風で、最初は「キワモノ」と扱われていたタモリさんですが、徐々に知的な一面も出すようになり、活躍するジャンルの幅も広がりました。

タモリのデビュー前のエピソード

音楽や料理など、趣味が多いことでも知られていますが、デビューするまでのタモリさんの人生にはどんなエピソードがあったのかも興味深いですよね。
タモリさんの生い立ちから、気になるエピソードを紹介していきます。

終戦後間もない1945年に生まれたタモリさんは、自分にはお遊戯が出来ないと思って幼稚園入学を拒否したというエピソードがあります。
幼いながらも冷静で大人びた子供で、幼少期は坂道に立って一日中通りかかる人々を見ていたそうです。
この経験から、坂道が大好きになったタモリさんは、今でも休日にはカメラを持って坂道を歩くそうです。
また、同じ坂道好きで編集者の山野勝さんと、日本坂道学会を設立しています。

料理好きで、親交のある芸能人にも料理をふるまうことで有名なタモリさんですが、料理を始めるきっかけとなったのはタモリさんの祖母でした。
タモリさんが小学生の時に、まだ男性が台所に立つことが珍しかった時代でしたが、祖母から「男も料理ができるようにしておくべき」と言われ、祖母が料理をする姿をいつも暇つぶしに見ていたそうです。

また、高校時代には剣道部と吹奏楽部に所属して、トランペットを担当するようになりました。
芸能界に入ってからも、テレビでトランペットを披露するなど、タモリさんの特技の1つとして有名ですね。
他にもアマチュア無線に興味を持ち、船の無線通信士を目指したこともあり、様々なことに興味・関心が深い学生時代を送っていました。

大学時代には、学費のための費用を友人との旅行資金に使って、学費が未納になったために大学を抹籍処分となり、福岡に連れ戻されます。
その後、保険外交員として働いていた時の同僚女性と結婚しています。

タモリのオーディションエピソード

タモリさんの芸能界入りは、赤塚不二夫さんや、山下洋輔さんなどの有名人に見初められたことなので、オーディションを受けたエピソードはありませんでした。
赤塚不二夫さんの番組に出演して、その番組をたまたま見ていた黒柳徹子さんから、「徹子の部屋」の出演をオファー受けるなど、芸能人としては遅いスタートだった30歳から、順調に活躍の場を広げていきました。

タモリさんを芸能界入りさせようと働きかけたのも赤塚不二夫さんで、現在の所属事務所・田辺エージェンシーに所属するまで、タモリさんの妻も上京して、赤塚不二夫さん宅での居候生活が続いていました。
赤塚不二夫さんをはじめ、たくさんの運命的な出会いが、タモリさんの活躍を生み出したと言うことですね。

タモリのブレイクのきっかけ

タモリさんがブレイクするきっかけとなったのは、フジテレビ系のお昼のバラエティ番組「笑っていいとも!」だと言われています。
2014年に番組は終了していますが、今でもタモリさんと言えば「笑っていいとも!」のイメージが強いのではないでしょうか。
1982年に番組がスタートする前には、深夜番組を中心に出演していたタモリさんが、多くの人に知られるきっかけとなった事は間違いありません。
「笑っていいとも!」が始まるまでは、万人受けする芸ではなく、一定の層をターゲットに評価されていたタモリさんでしたが、多彩なタモリさんの知識や物事を楽しむ姿が視聴者を引き込み、伝説の長寿番組へと成長しました。

「笑っていいとも!」で知名度を上げながら、他の番組でも司会を務めるなど、冠番組もどんどん増え、いつしかビートたけしさんや明石家さんまさんとともに、お笑いビック3と認識されるほど、芸能界でトップに立つことになりました。

タモリの芸能界での伝説

芸能界に入ったきっかけも、伝説的なタモリさんですが、芸能界でも数々の伝説を残しています。
タモリさんの芸能界での活躍を見ていきましょう。

ギネス世界記録

タモリさんの知名度が上がるきっかけとなったバラエティ番組「笑っていいとも!」は、1982年にスタートし、31年半も続いた長寿番組です。
番組終了までの放送回数は8,054回を達成し「生放送単独司会記録」でギネス認定されています。

NHK紅白歌合戦の司会

1983年には芸能生活8年目にして、NHK紅白歌合戦の司会に抜擢されます。
当時、NHKのアナウンサー以外で、紅白歌合戦の司会に抜擢されるのは初めてのことでした。

長寿番組の司会

タモリさんが出演する番組と言えば「笑っていいとも!」以外にも「ミュージックステーション」は1987年から司会を引き継ぎ、深夜番組「タモリ倶楽部」も30年以上続く長寿番組になっています。
番組を長く続けることが難しいテレビの世界で、冠番組が多数長寿番組になるのは、タモリさんの人気や人柄があってのことでしょう。

タモリさん本人がどんなジャンルにも興味を持ち、楽しんでいる姿が印象的です。
他の人にはないタモリさんの考え方や雰囲気は、人を引き付ける魅力がありますね。

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