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オーディションなび的タレント伝(19) 内村光良ー漫才を始めたきっかけは?

2021.05.28 / エンタメ, 芸能人

内村光良のプロフィール

お笑いコンビ「ウッチャンナンチャン」のウッチャンこと内村光良さん。
最近は番組MCとして、テレビ出演することが多い内村光良さんですが、俳優や映画監督としても活躍しています。
内村光良さんの生い立ちや、どのようにしてデビューに至ったのかなど、気になる情報を詳しく紹介していきます。
はじめに、内村光良さんのプロフィールから見ていきましょう。

内村光良

本名   内村光良
生年月日 1964年7月22日
出身地  熊本県
血液型  AB型
身長   169㎝

2005年には、元テレビ朝日のアナウンサーで、現在はフリーアナウンサーとして活動している徳永有美さんと結婚し、二児の父でもある内村光良さん。
デビューから35年以上経った今も、大活躍する内村光良さんについて解説していきます。

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内村光良の生い立ちとは

内村光良さんは、熊本県球磨郡あさぎり町に生まれ、小学4年生の時に熊本県人吉市へと移ります。
小学生の頃からNHK連続テレビ小説のファンで、当時放送されていた「藍より青く」や「鳩子の海」を熱心に見ていたそうです。
朝ドラ出演を望んでいた内村光良さんは、2019年に放送された「なつぞら」でナレーションを担当しています。
また、父親が持っていた8ミリカメラに興味を持ち、中学生になると、映画「ロッキー」や「街の灯」を見たことをきっかけに、映画に興味を持つようになったそうです。
いつしか映画監督を志すようになり、中学の文化祭では、自身が脚本・演出・主演を務めた劇を上演したこともありました。

高校卒業後は、本格的に映画監督を目指すため、横浜放送映画専門学院(現在の日本映画大学)の演劇科に進学します。
ここで、後の相方となる南原清隆さんや、出川哲郎さんと出会うことになります。

内村光良のデビューのきっかけ

内村光良さんのデビューは「ウッチャンナンチャン」として、お笑いコンビを組むことから始まります。
横浜放送映画専門学院の授業で、漫才をすることがあり、南原清隆さんとコンビを組みます。
この時に講師をしていた内海桂子・好江さんに勧められ、コンビとしてマセキ芸能社に所属することになります。
ちなみに、2人の漫才を見た内海好江さんは「絶対に逃してはダメ!」と言っていたそうです。

「ウッチャンナンチャン」は、コントを主体としたコンビで、ショートコントスタイルを確立します。
「ウッチャンナンチャン」と言えば長く続いているコンビですが、結成2年目の時に、一度だけ解散の話が出たことがありました。
「お笑いスター誕生!!第7回オープントーナメントサバイバルシリーズ」に出場することになり、2人で「優勝できなかったら解散しよう」と話したそうです。
結果は見事優勝、解散の危機を乗り越えました。

また、1987年には専門学校時代に同級生だった、出川哲郎さん、入江雅人さんと、ウッチャンナンチャンで劇団SHA・LA・LAを立ち上げ、演劇活動も行っていました。
内村光良さんは、脚本・演出も担当していました。

内村光良のオーディションエピソード

内村光良さんは、南原清隆さんと共に、マセキ芸能社に所属し、日本テレビ制作のお笑いオーディション番組「お笑いスター誕生」に出場しています。
歌手のオーディション番組で、人気の高かった「スター誕生!」の兄弟番組として1980年から1986年に放送されていました。

第7回大会に出場したウッチャンナンチャンは、優勝を果たしています。
同じ番組での優勝者には「とんねるず」がおり、出場者にはコロッケさん、ハイヒール、ダウンタウンなどがいます。

実は「ウッチャンナンチャン」が「お笑いスター誕生!」に出場したのは1度ではありません。
初挑戦となった1度目は準優勝、2度目の挑戦では4位、優勝を目指し続け、番組終了間際の1986年に悲願の優勝を達成しています。

内村光良の芸能界での活躍

「お笑いスター誕生!」への出演で、徐々に知名度を上げていった「ウッチャンナンチャン」は、ダウンタウン、とんねるず、B21スペシャルと共に、お笑い第3世代として、活躍します。
「夢で逢えたら」「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」など、コントネタを主体としていたため、内村光良さんは「最もコントを愛する芸人」とも言われています。
また、内村光良さんは、バラエティ番組「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」から誕生した音楽ユニット「ポケットビスケッツ」のメンバーとして「第49回HNK紅白歌合戦」にも出場しています。

2000年代に入ると内村光良さんと南原清隆さんそれぞれが、ピンで活躍する番組が増えています。

内村光良の主な出演番組

・世界の果てまでイッテQ!(日本テレビ)
・スクール革命!(日本テレビ)
・内村さまぁ~ず(TOKYO MX)
・痛快TV スカッとジャパン(フジテレビ)
・そろそろ にちようチャップリン(テレビ東京)
・THE突破ファイル(日本テレビ)
・内村のツボる動画(テレビ東京)

2006年には映画「ピーナッツ」で映画監督デビューを果たし、2017年からは4年連続でNHK紅白歌合戦の総合司会も務めるなど、多彩な活躍が続いています。

内村光良の芸能界でのエピソード

内村光良さんの魅力と言えば、面白さや多彩さはもちろんですが、優しくおおらかな人柄など、人間的な魅力にも溢れていますよね。
そんな内村光良さんの、印象的なエピソードをいくつか紹介します。

コンビの不仲説は本当!?

最近では「ウッチャンナンチャン」での共演が少なく、過去に2人が「楽屋は別がいい」「お互いに電話番号を知らない」と発言していたこともあって、不仲説がささやかれ続けています。
しかし、本人たちは「本当に仲が悪かったらとっくに解散している」と発言しています。
ある日、南原清隆さんの生放送の仕事直前に、内村光良さんから電話がかかってきて「何かあったに違いない」と、すぐに駆け付ける覚悟をしていましたが、内村光良さんからの要件は「松ちゃん(松本人志)結婚するんだって」という報告でした。
内村光良さんは、この話をわざわざ伝えるために、マネージャーから、南原清隆さんの電話番号を聞いたそうです。
2019年にバラエティ番組にコンビで出演した時には、内村光良さんが南原清隆さんに「LINE」を送ったと発言していたので、現在は連絡先の交換もしているのでしょう。

内村光良さんが兄のように慕う人とは?

内村光良さんの兄弟には、妹がいますが、兄のように慕っている人がいます。
内村光良さんが「あんちゃん」と呼んで慕うのは、放送作家の内村宏幸さんで、内村光良さんの従兄です。
横浜放送映画専門学校に通っていた時には、横浜の大学に通う内村宏幸さんと同居していたこともあります。
内村宏幸さんは「3人目のウンナン」として、ウッチャンナンチャンのコント台本を書くこともあり、そこから放送作家をはじめたそうです。
その後「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」「ウンナンの気分は上々。」など、様々な番組の放送作家を担当しています。

お互いを認め合う大物芸人とは?

内村光良さんが「同じ釜の飯を食った特別な存在」と言うのは、ダウンタウンの松本人志さんです。
松本人志さんも、内村光良さんのことをラジオ番組で「同じ釜の飯を食った仲間」と発言している特別な仲です。
2人は1988年から放送されていた「夢で逢えたら」で共演しており、内村光良さんは、吉本興業の関係者以外は出席しなかった松本人志さんの結婚式にも出席しています。

後輩からも「優しさの塊」と言われるほど温厚な性格で知られる内村光良さん。
共演者からも視聴者からも必要とされる存在として、これからも注目していきたいですね。

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