スーツでガッツポーズ

オーディションなび的タレント伝(17) 有吉弘行ーブレイクと転落の芸能生活

2021.05.26 / エンタメ, 芸能人

有吉弘行のプロフィール

今や多数の冠番組を抱える、超人気お笑いタレントの有吉弘行さん。
最近では、フリーアナウンサーの夏目三久さんとの結婚が話題となりました。
テレビで見ない日はない程の活躍ぶりですが、有吉弘行さんの芸能生活は常に順調だったとは言えません。
有吉弘行さんのこれまでの活躍を紹介していきます。
はじめに、プロフィールから見ていきましょう。

有吉弘行

本名   有吉弘行(ありよしひろいき)
出身地  広島県安芸郡熊野町
生年月日 1974年5月31日
身長   172㎝
血液型  A型

広島県出身の有吉弘行さんは、広島県の観光大使も務めています。
デビューは、お笑いコンビ「猿岩石」としてですが、当時はコンビで主にコントをしており、ネタは有吉弘行さんが書いていたそうです。
大ブレイクからの転落、そして再ブレイクと、波乱万丈な有吉弘行さんの生い立ちや、芸能界での活躍を見ていきましょう。

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有吉弘行の生い立ちとは

広島県安郡熊野町で、田んぼに囲まれた環境のもと生まれました。
あまり働かない父親と、スーパーや内職などの仕事で家庭を支える母親の元に生まれ、兄弟は4歳下の弟がいます。
父親があまり働かなかった影響もあり、幼少期は貧しい生活を送っていました。

有吉さんの名前「弘行」は「ひろいき」と読みますが、とても珍しいですよね。
実は、酔っぱらって出生届を出しに行った父親が「ひろゆき」を「ひろいき」と書き間違えたそうです。

幼少期は友達も少なかった有吉弘行さんですが、小学校に入ると女の子にモテたいという気持ちが芽生え、友達の前で笑いをとるようになります。
中学に進学しても、ものまねなど得意の芸で、みんなを笑わせて、高校時代もクラスメイトの前に出て漫談を披露していましたが、これも全て女の子にモテたいという気持ちが強かったそうです。
当時から可愛らしい顔立ちだった有吉弘行さんは、実際に学生時代はモテていたそうです。

有吉弘行のデビューのきっかけ

学生時代には「女の子にモテること」を常に意識して、クラスメイトを笑わせてきた有吉弘行さんですが、本格的にお笑い芸人を目指したきっかけも「とにかく女性にモテたい」という理由でした。

お笑い芸人を目指すために動き出したのは、有吉弘行さんが高校3年生の時でした。
当時放送されていたバラエティ番組「EXテレビ」の企画「公開弟子審査会」に出演し、合格します。
この企画をきっかけに漫才コンビ「オール阪神・巨人」のオール巨人さんに弟子入りしますが、兄弟弟子と喧嘩をして、相手に怪我をさせてしまい謹慎処分を受けます。
しかし、有吉弘行さんは、謹慎中に無断で地元に帰ってしまいます。

その後、お笑いの夢を諦めきれなかった有吉弘行さんは、中学・高校の同級生であった森脇和成さんと「猿岩石」を結成し、1994年に太田プロダクションに所属します。
芸人デビューすることになり、何も言わずに、弟子を辞めてしまっていたことを謝罪するため、師匠のオール巨人さんの元を訪れて、正式に破門となりました。
新たにコンビとして芸能活動をスタートさせましたが、1996年には人生が変わるほどの大ブレイクをすることになります。
1996年にバラエティ番組「進め!電波少年」の、ヒッチハイク旅企画の出演者に「猿岩石」が抜擢されます。
この企画では、ユーラシア大陸をヒッチハイクで横断するという内容で、当時全くの無名だった「猿岩石」が抜擢され、番組の影響力が大きかったため、帰国した時には信じられないほどの人気と知名度を手に入れることになりました。

有吉弘行のオーディションエピソード

有吉弘行さんが芸能界に入るきっかけとなったのは、番組のオーディション企画であり、オール巨人さんの弟子を選ぶオーディションでした。
このオーディションで、有吉弘行さんを選んだのは、他ならぬオール巨人さん本人でした。
オール巨人さんが弟子に有吉弘行さんを選んだ理由は、態度が悪かったことです。
有吉弘行さんの態度を見て「直さなければいけない」と感じたことがきっかけで、採用が決まりました。
その後、無断で弟子を辞めてしまった有吉弘行さんですが、オール巨人さんは有吉弘行さんの履歴書を今でも残しており、活躍を応援しているそうです。

また、有吉さんが「猿岩石」として「進め!電波少年」のヒッチハイク企画に抜擢されたのも、番組オーディションでした。
本当は、猿岩石と一緒に最終審査に残っていた「Take2」が合格し、「猿岩石」は落選するはずでした。
しかし、当時「Take2」の深沢邦之さんが、女優の田中美佐子さんと結婚したことが大きな話題となり、スケジュールが空けられなくなります。
そのため、まだ無名で半年間スケジュールが白紙だった「猿岩石」が起用されたそうです。

有吉弘行の芸能界での活躍

ヒッチハイク企画の影響力はとても大きく、帰国後は人気コンビとしてメディアに引っ張りだこの状態になります。
当時はまだインターネットが普及しておらず、ヒッチハイクの旅の約半年間、自分たちが日本で大きな話題となっていることは知らなかったそうです。
当時の猿岩石の人気はアイドル並みと言われるほどで、「白い雲のように」でCDデビューも果たし、ミリオンセラーとなりました。

しかし、その人気は長くは続かず、見る見るうちに仕事は激減していきます。
2004年にコンビは解散、有吉弘行さんは事務所に残り、ピン芸人として新たなスタートを切ります。
しばらく仕事がもらえない時期が続きましたが、2007年にバラエティ番組「アメトーーク!」に出演し、品川祐さんに「おしゃべりクソ野郎」とあだ名をつけたことが話題となり、毒舌芸人として再ブレイクのきっかけになります。

有吉弘行さんの主な冠出演番組

・有吉くんの正直さんぽ(フジテレビ)
・有吉ジャポンⅡ(TBS)
・有吉反省会(日本テレビ)
・有吉ゼミ(日本テレビ)
・櫻井・有吉THE夜会(TBS)
・有吉ベース(フジテレビ)
・マツコ&有吉かりそめ天国(テレビ朝日)
・有吉ぃぃeeeee!そうだ!今からお前んチでゲームしない?(テレビ東京)
・有吉のお金発見 突撃!カネオくん(NHK総合)
・有吉の壁(日本テレビ)

現在放送されている冠番組は、なんと10本もあります。
多くの番組でMCを務めている、有吉弘行さんは、再ブレイクで日本のメディアに欠かせない存在となりました。

有吉弘行の芸能界でのエピソード

厳しい芸能界で「ブレイク」や「転落」という壮絶な経験をしている有吉弘行さんの印象的なエピソードを紹介します。

ブレイク時の最高月収は?

「猿岩石」としてブレイクした時には、CDや著書などが記録的なヒットをしたこともあり、最高月収が2,000万円に達したこともあったそうです。
ブームが長くは続かないと、冷静に考えていた有吉弘行さんは、4,000万円をしっかり貯金していました。
しかし、仕事がなくなり、その貯金も7~8年後には数百万円にまで減ってしまっています。
仕事がない時代には、転職を考えたこともあったそうです。

あだ名の命名

品川祐さんに「おしゃべりクソ野郎」と名付けたことをきっかけに、あだ名の命名は有吉弘行さんの特技として認識されるようになりました。

有吉弘行さんが付けたあだ名

・博多大吉→病み上がり
・夏目三久→のしあがりボブ
・田中卓志→ミイラのゾンビ
・井ノ原快彦→田吾作
・徳光和夫→涙の安売り
・中山秀征→バブルの生き残り
・ベッキー→元気の押し売り

有吉弘行さんが命名したあだ名は、面白くて的を得ていると評判です。

地図が読めず方向音痴!?

有吉弘行さんは、地図が読めず方向音痴で、スタジオの中など、狭い空間でも迷ってしまうほどだそうです。
普段車を運転している時の道路の名前も把握しておらず、日常生活で東西南北を意識したことがないという有吉弘行さん。
方向音痴ではあるものの、趣味は散歩で10㎞以上歩くこともあるそうです。

ときかく冠番組を多く持っている有吉弘行さんですが、テレビ業界を引っ張る存在として、今後の活躍も期待したいですね。

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